都合のいいことばっかり

GWは例年の通り、雲取山に登った。麓の集落には鮮やかな藤が出迎えてくれた。新緑の美しさはアイドルのそれと似ている。広葉樹の柔らかい緑と針葉樹の深い緑がひとつの斜面に広がっている。重たい荷物を担いで、運動不足の身体に鞭を打つ。奥多摩小屋テント場には1330頃に着いた。キャンプチェアと小説と雑誌を荷揚げしたのは、ここで日光に注がれながら椅子に座って本を読むという寛ぎの時間を過ごすためである。山と渓谷、麦ふみクーツェを読んだ。晩ごはんはフリーズドライのチキンライス、セブンイレブンのハンバーグとソーセージ。次回は炊飯してみたい。

素晴らしい山の翌日は休息。セブンイレブンで揚げ鶏を買ったら、店員が鼻をすすっていて手の甲で鼻水を拭いていた。心で舌打ちをするような最低な気分で商品を受け取り、よく手を洗い、うがいをして寝た。夜中の2時に喉の痛みで目が覚めて、やってしまったことに気づく。喉を労って汗をかこうと悪戦苦闘したものの、結果、体調は最悪のままGWを終えた。二日間だましだましで出勤したものの、体調は悪化してしまったので三億年ぶりに仕事を放り投げて本当にゆっくり休んだ。とにもかくにも休息し続けた。デートの約束もお流れとなった。しかしここ最近の自分の働き方を見直す良い機会だった。最近、いまの仕事について色々思うことがある。少しずつ、不満とも言えない塵が蓄積していて、正直な話、なにかひとつ大きなトリガーがあったら、大きな事態に発展しかねないように思っている。

人生は色々あるな。ここにすら書けないことが起きていて、おれはこの件とどう向き合うべきなのだろうか。こういうことこそ友人と話すべきなのかもしれない。でもきっと大したことじゃない。さいごはおれの心持ちの問題だ。

2018/4/21-22 in da house @旧グッゲンハイム邸

2018年4月21-22日、in da house@旧グッゲンハイム邸。もとの生活を送るうちに、夢の時間から一週間が過ぎてしまった。

雨の中のテニスコーツ−−あの景色を覚えているか。雨が降りだしながら、誰かが傘を差して楽器を守り奏でたあの音を。4年前、in da house@旧グッゲンハイム邸での、あの演奏を。電車が通る音など気にならないほどの、音楽の底力を。聞き手に焼き付けるようなあの体験を。

2013年、2度のSLOWMOTIONから、2014年のin da house、2014年と2017年のin da house lounge、そして今年のin da houseへとつながっている。ぼくにとってはすべてが地続きだ。

2018年4月21日。朝、7時に起きる。7時に予約していた洗濯物を風呂場に干し、部屋の掃除と洗いものを簡単に済ませる。シャワーを浴びて、旅の仕度。今日は登山ではないので、テントやシュラフなど、20kgの荷物を背負う必要がない。せいぜい2-3kgそこらだから気が楽だ。要らない荷物も余計に詰めてしまった。そもそも私服を着ること自体が久しぶりすぎる。ご無沙汰してますという気持ちで服を着た。

in da houseを予約してからというもの、あらゆる仕事の疲労やストレスも、なんとなくゆるい期待を今日に向けることでやりすごしてきた。誰しもそうだろう。ハレに託して、ケを生きる。

塩屋という、この小さな町に降りるのは三度目だ。そのすべてに中川さんとsirafuさん、minodaさんがいたはずだ。線路を越えた海を臨む。会場に着く。体温は平熱。汗ばむ手前くらいの新緑の季節、光と風が心地よい。会場には既にたくさんの人がいた。ゆっくりとした時間が流れている。ビールを飲む。フードもアルコールもソフトドリンクも、ぜんぶおいしい。モヒートはなかったものの、梅ソーダがあまりにおいしすぎて、ふたつ頼んでしまった。

初日はNRQ、東郷清丸、yumbo、ザ・なつやすみバンド、STUTS、空気公団テニスコーツ。2日目は三田村管打団、GUIRO、Shouhei Takagi Parallella Botanica、 片想い、両想い管打団。

こんな晴れた日に、いとおしい洋館で、おいしいごはんを食べて、おいしいお酒を飲み、なんとなくステップを踏んでいる。空を飛ぶトンビを眺め、子どもが走り回るのを自分勝手にほほえましく思い、海に目をやる。たまに居眠りをして、気が向いたときに外に散歩に出る。ドゥワチャライク。なんでもできる。もうそれだけでいい時間だ。

パーティーはスタンプラリーじゃない。パーティーは付いて離れてを繰り返して良い。パーティーは楽しもうと試みるあなたを殺さない。他人と共有できることと、できないことがある。その場で同じ音楽を聴く、それだけを共有できれば、その他はなんでもいい気もする。他人を尊重しつつ好きに楽しめばいい。

1.タイムテーブルを明かさない
2.毎回、客席は転換で入れ換える

このふたつの仕組みによって、in da house自体が音楽や建物を中心に置きながら、あの敷地を越えた一回り大きな同心円のサイズで楽しむことを促していたように思う。7インチの上に12インチを重ねるような。
中心にある音楽を行き来することの贅沢さを思う。in da houseの敷居を超えていくこと。向かう、移動、集う。便利さと気遣いが過重に編み込まれた現代のケア社会において、意図された不便さが参加者に与える自由と親切を思わざるを得ない。

ほんとうはすべてのバンド、すべての見聞きしたことを書きたいのだけれど、ぼくには到底叶わないので大好きなバンドのことだけ、大好きだという気持ちだけ、せめて自分勝手に書き残しておこうと思う。

10周年を迎えるザ・なつやすみバンドは今年初ライブらしい。ライブハウスに行かないわけだ。お土産かごほうびみたいに、新曲をふたつもやってくれた。「喪のビート」。3年くらい前にsirafuさんがお酒を飲みながら死について話してくれたことをなんとなく思い出しながら聞いた。ちょっと変なビートに乗せながら、ド直球で愛と実存みたいなものを歌っていて、本当の悲しみの、その後に訪れるちょっとしたやさしさを思った。なくなるものと、なくならないもの。起こったことと思ったことは消えない。そう思いたくても、ぼくたちは忘れてしまう。その忘却から少しでも抗いたい気持ちが、人に書かせたり歌わせたりするんじゃなかろか。

中川さんの10周年に関するドエモいMCを挟んでから、発表した曲名が「バンドやろうぜ」。おいおい。曲名を聞いた瞬間に、椅子に座りながら正直ぶちあがってしまった。心を落ち着けるように口許に手を当てる。フジロッ久(仮)のファンとしてはこのふたつのバンドの不思議なシンクロを報告せざるを得ない。10周年のバンドが、続けることによって生まれるいろんなノイズやボタンの掛け違いを認めた上で、それでもいっしょに鳴らし続けるという選択、生きざまを肯定したような歌でした。高橋元希さんの朴訥としたパッションや、アナーキーインザ荒川と交わり合うあの構成とは対極にあるような、いまの中川さんの文脈でしか描けない、エモくて静やかな曲でした。

「それでもともに音を鳴らす」ことの根元的な喜びへの咆哮と「それでも集う」という決意のように聞こえて、ぼくはこの日いちばん嬉しかったです。続けることをファンのエゴに任せず、自分の純粋な思いに回収していたところもさすがだった。

平坦な日常を分け隔てなく大切にするということと、節目や祝い事を大切にしないということはまったく違う。ハレを歌いながらケを肯定するS.S.W.が、10周年というハレをケとともに祝福していたライブの構成もめちゃよかった。それを聞いてる自分自身も、ケを肯定できる気持ちになれた。そしてこの日のライブ自体が「お誕生日会」のような構成だったことに気づく。彼女たち自身が「お誕生日会」で祝福されるべきだから、せめてぼくだけでも、人知れず口ずさもうとおもう。


悲しい日々をいくつも越えてこれたんだね
ご褒美はいつもそこらじゅうに溢れてもっと知りたいと思うんだよ
ちょっと諦めることもあるけど!


パーティーが終わる。あたたかな昼間とは気温差がある。欠けた月が真上に昇っている。2013年のあの日を思う。2013年の6月22日、あの日のSLOWMOTIONはうつくしきひかり×VIDEOTAPEMUSIC。たしか下北沢インディーファンクラブの前日だった。あの素晴らしい日は月が海側に昇っていたのだ。

2日間の夢の時間は終わって、また日々が続く。セクハラ問題、政治とカネ、文書改竄、朝鮮半島の和平、そのずっとずっと延長に解決しきれない日々の仕事が積み重なっている。微弱な振動だけを信じていたい。カネがほしくて働いて眠るだけの生活は嫌だ。心がふるえる瞬間だけを期待して、また仕事を始める。そろそろ山にいこう。テントの中で、コーラを飲みたい。あしたは平成30年4月30日、30歳の誕生日だ。

掃除機よ

一人暮らし5年目にして、ようやっと掃除機を買った。クイックルワイパーの取り残しと戦い続けた4年間。細かい埃にはストレスを覚えるものの、それでも水拭きしたフローリングを裸足で歩く心地よさにはなかなか勝てず、高い掃除機を見ては心を折られ、安い掃除機を見ては安物買いの銭失いを恐れ、そんなことを繰り返していると4年間が過ぎていた。そして、今日、ついに掃除機を買った。

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これまで取りきれなかった、髪の毛や埃なんかがあっという間に吸い込まれていく様は小気味良い。意味もなく、掃除する場所を変えながら、何度も何度も掃除してみる。ハンディタイプの使いどころがわからないままに2 in 1タイプの掃除機を買ったのだけど、小回りが効くので気づいたときのちょっとした掃除にとても使いやすい。

なぜニトリか。特に理由はなく、これまで何度も何度も量販店に買いに行ったけれど、ありすぎる商品のなかで比較しているうちに予算との兼ね合いでどうでもよくなってしまいがちなことがよくあったから。今日は決めてやろうとしただけです。できれば電源コードつきでパワーかあって、かつスティック型で収納がしやすいのが良いなーと思ったのだけど、気づいたらこれを買っていた。

今週の土日は家事に勤しんだ。冬の間にいつのまにかレースのカーテンについてしまったカビを落とそうと試みる。カーテンをすべて洗った。ついでに土埃で汚れきっていた窓のガラスをよく拭いた。ベッドのタオルケットや枕のカバーなんかもよく洗った。トイレ掃除にも精を出した。

そろそろ冬用の毛布やらこたつやらをしまいたいのだけれど、花粉がつくのが嫌で外に干せない。GWあたりまで待ってようかしら。

米を食った。冷凍食品のしょうが焼き、キムチ、卵かけご飯。最近は、がっつりしたカップラーメンに生卵をつけて、すき焼き風にして食べるつけ麺スタイルにはまっている。おいしいので試してみてほしい。

針通しの仕組み

二月末から続く仕事のプレッシャーのせいか、最近は再び血便が出ていた。結構な血量。生理かよ。一年前とはまったくちがう職種の仕事をしているため、もはや賃金や待遇の変わらない転職だ。勝手がわからず、ツボを押さえるのに時間が掛かる。拙い英語のコミュニケーションも、なかなか難儀だ。要領を得ないときには英語のうまい人が分かりやすいように言い換えてくれるから、ぼくはなんとかやれているのだ。

毎日毎日、自分の状況を嘆いたり、誰かのせいにしたがったり、感謝をしたり。まったく感じようが忙しいな。しかしやれるだけのことはやったので、もうどうなっても良いだろうという気もちで臨めた。金曜日、ようやく、ようやく、その仕事に一区切りがついた。ここからが始まりだし課題は山積しているのだけれど、いまここを、全力で喜びたい。

実感などなく、ただ少しホッとしていた。受験の時みたいだ。次のことを考えて帰社すると、前の部署からお世話になっていた先輩がすごい勢いで駆け寄ってきて、泣きながら喜んでくれた。そんなに喜んでくれるなんて。その姿を見て、喜びを初めて実感した。「だってめちゃめちゃ頑張ってたやろー」と言ってくれた。泣きそうになったので、ぼくも泣いちゃうのでやめてくださいと伝えた。その言葉が合っていたのか、いまもわからない。でも、嬉しかった。ほんとに、ほんとうに嬉しかった。きっと先輩の心が動いたことで、それを引き金に、ぼくの心も動いたのだとおもう。リーマン道の通すべき筋の先に、心がふるえる瞬間が、また落ちていた。心がふるえる瞬間が欲しくて、ぼくは仕事をしているのだ。誰かと喜ぶこと、それを抑えたり、煩わしく思ったりすることは絶対にやめよう。今週は一年以上前に見ていた夢のデジャブが数回あって、神様がこの道で良いと言ってるんだな、と自分勝手なコミュニケーションを得た。

帰宅し、大好きな汁なし担々麺を食べて眠った。一日の終わりに最大の贅沢を与えてくれるこの街に感謝を告げた。眠る前、電気を消したベッドの上で、お疲れさま、よく頑張ったなと自分自身に声を掛けた。

久しぶりの二連休。仕事のことを思い出しそうになる刹那、立ち上がり始めるその思考を一流の殺し屋のような所作で速やかに駆逐している。土曜日は一日中ごろごろしてYouTubeを見ていた。日曜日もほとんど変わらず。洗濯をして少しだけ掃除した。そしてワイシャツやスーツにアイロンを掛けた。6年間、ワイシャツにはアイロンを掛けない主義だったのだけど。ただめんどくさいから、にほかならない。スーツのボタンがほつれていたため、針仕事をやった。針仕事は得意ではないのだけれど、仕方ない。最近になるまで、針通しの仕組みがわからなかった。おれのIQなんてその程度なのかもしれない。針穴に対してねじれのような関係性の糸が、通るわけない針穴に、するりと交差する。針通しみたいな仕掛けの出会いが人生にもきっとあるとおもう。訳知り顔で何を言うのか。

先週のうちに漬け込んでいた肉を焼いて食べた。先週のおれは何を思ったのか、イカの塩辛とキムチをベースにしてしまったせいか、魚の臭みがものすごく、単体ではなかなかつらかった。ラーメンに乗せて中和させて食べた。

さきほど、仲の良い同期から子どもが生まれた連絡があった。一時間ほど前に、ちょうどその同期のことを考えていたのだった。赤ちゃんはめちゃめちゃかわいかった。母子ともに健康でほんとによかった。名前はなんていうのだろうな。

いつの間にかワイシャツの襟が擦れてしまっていて、そろそろ限界だったので久しぶりにワイシャツを買いに出掛けた。お客さんの前でせめてみすぼらしくならないように、ネクタイとハンカチ、靴下も、ここぞという時用に新しく買いそろえることとした。思いきって、数年前に居酒屋で無くしてからそのままになっていた腕時計も買い揃えた。財布の中身はノーフューチャーだ。こういうきっかけがなければ一生買うことがないから良いのだ。

塞翁が馬

火曜日、創業者から呼び出される。15分しか準備の時間がなく、当たって砕ける気持ちでお話をした。しかし本当にきつかったのはそのあとで、今週はこの会社でのサラリーマン分岐点のひとつだったのかもしれない。これまでの仕事人生のなかで最大のプレッシャーのなか、自分の全力を振り絞って仕事をした。こんなプレッシャーのなか、上の人たちは仕事をしているのか。プレッシャーのなかでどのように自分の100%を出すか。自分ひとりの力のいたらなさをよく思い知った。たくさんの人が協力をしてくれている。

ここ1ヵ月毎日仕事の夢を見て、うまく眠れない。今週はもうそれがひどくなるばかりで、どうしようもなかった。胃腸よ持ってくれ。

結果がどうなるかはわからないが、とにかく全力を尽くすしかない。誠実に向き合って、それでダメだったら、素直に諦めよう。登山とおんなじだ、結果のすべてを引き受ける覚悟で、やりたいようにやってみようとおもう。

土曜日、大学の友人の結婚式に出向いた。プライベートの時間でも、お酒を飲んですら、プレッシャーから抜け出せないでいたが、友人たちと祝っているうち、少しだけ安らいだ思いがした。ある友人に相談してみると、「人間万事塞翁が馬。死ぬわけではない。」と言ってもらえて少し気持ちが落ち着いた。そこからはお酒にも酔えて、楽しく飲めた。

日曜日、準備不足を補うための休日出勤。昨日の友人の言葉を大切にして、頑張ってみよう。

金曜日、仕事をバタバタと済ませて帰宅。来週からは勤務場所が変わるので、別れの挨拶をした。その後は会社の後輩と飲みに出掛けた。ここ2週間で3回も会社の後輩と飲みに行っているので、困ったことにもうお金がない。楽しかったのだから良いのだ。

土曜日の代休として、月曜日はお休みをもらった。仕事は忙しいが、代休を取ることは法律で定められているのだし、おれだって毎日全力なので週の2日はリフレッシュに忙しく、正直仕事どころではないのだ。

せっかくの平日休み、朝メシを食ってすぐに出掛けた。銀行で支払い関係の振り込みを済ませ、週末の結婚式のために、スーツのクリーニングや新札を揃えた。駅で新しい定期を買ってから、神保町の登山ショップでたむろし、古書街の山岳書を漁って暇を潰した。

一度帰宅し、布団や毛布を干す。残りは風呂掃除に勤しんだ。いつもやらない洗面台の裏まで念入りに掃除した。別に女を連れ込む予定はない。
しばらく未来少年コナンを見て休憩し、ニトリに行って新しいフライパンとまな板を買った。4年も使ったフライパンは完全に死滅し煮物くらいしか使い道はない。冷凍庫の奥にしまいっぱなしになっていた牛タンは引くくらいとっくに賞味期限が過ぎていたが、もったいないので焼いて食べた。未来少年コナンおもしれえ。