望みのために徳を積め

最近は、クラブにいって踊るようになった。
趣味が横行している。ライブに登山に自転車にクラブ。

クラブハウスは、気持ちが沈んでげんきのないときにこそ行ってとにかく踊っていると、いつのまにかくりかえされる単純なステップやフレーズに没頭していて、悩んでいたことが少し小さくなっていたりする。現実にはなにも変わっていないのに、踊るまえとあとでは、ぼくたちの立ち位置はほんのすこしちがっているということが興味深い。

ライブハウスと似ている。

街を歩いていれば、徳を積むことがある。
お年寄りに席を譲る、お金を落としたと教える、忘れ物を渡しに走る。
どれもあたりまえといわれればそうだけど、見過ごすこともできること。

良いことをしたとしても、今世も来世も自分の望みが叶うわけでもあるまいし。
ぼくらはなんで困ってる人を助けるのか。
ほっとけない、というのは少し化粧が過ぎるようにも思う。

良いことをするのは自分の信じてるものを磨くことに似ている。
かっこいい生き方とか、願いたい未来、自分が信じてるものを、良い行いによってもっと信じたくなるように磨かれるようなそんな感覚。

信じてるものと、自分の行いを照らしたときに、信じてるものを錆び付かすことのないように。
徳を積むことは、望みを叶えるためではなく、望みを持ち続けられるように、しておくべきなのかもしれない。