八ヶ岳最高峰、赤岳に登ったらなぜか山小屋で働くことになった

八ヶ岳の赤岳に登った。新宿から特急で茅野駅へ0858に着。1000頃から登り始めた。美濃戸口(西側)から南沢を経て、行者小屋へ。行者小屋ではカレーを食べた。とても美味しかった。お昼休憩を取り、一気に赤岳天望荘まで。1500頃には着いていた。今回のメンバーは全員が経験者、コースタイムの3分の2で進むことができた。あいにくの天気でほとんど眺望はのぞめなかったものの、コース自体は起伏に富んでいて、晴れてさえいれば少しの体力さえあれば初心者でも十分に登れるコースだった。

山荘に着き受付を済ますと、山小屋の社長から、食事の配膳を手伝ってさえくれれば大部屋の値段で個室に泊めてあげる、と交渉を持ちかけられる。山小屋で働く機会なんておそらくもう一生ないため、少しの不安を抱えながらもぼくらはその提案をのんだ。結果、このあと、ぼくたちの働き以上のもてなしをしてもらい、大感謝となった。天望荘、めっちゃいい山小屋なのでおすすめです。

お風呂は6人入れば一杯になる五右衛門風呂。待っている人がたくさんいたため、時間は3分程度のものだったが、汗が流せたのでさいこう。

食事の配膳、ぼくは豚汁を担当。具と汁のバランスが肝心である。しかしお客さんにおいしかったと言ってもらえることはこんなに嬉しいものなのか。ぼくは調理なんてひとつも担当していないけれど。普段お客さんに接する機会なんてまったくないので新鮮だった。

宿で働くのは人生で3度目。一度目は沖縄のゲストハウス、二度目は長崎のゲストハウス。どちらも食事の提供はなかったので、大人数の配膳を手伝うのは中学校の給食や合宿以来かもしれない。

空腹のなか豚汁をよそい続けるのはなかなかの苦行。ぼくらのごはんの時間になる頃にはすっかりおなかがすいてしまった。バイキング形式のため、調子に乗って取りすぎてしまう。いっつもそうなのだぼくは。自分が少食であることを忘れ、貧乏性と根拠のない強気が炸裂する。恥を忍ぶことすらせずに、友達に豚の角煮をふたつ手伝ってもらった。社長からロゼワインを差し入れていただいた。おいしく飲んだ。なんて日だ。食べ終わった頃、夕日が一瞬顔をのぞかせる。みんなで外へ。初めて雲海の景色をのぞんだ



山頂までの道が見えた。明日はこの道を登っていくのだ。風が強い。楽しみな気持ちで宿へ戻る。消灯の時間まで、食べ過ぎで苦しんでいた。





翌日も天気はあいにくで、朝の一時間程度を除いて、結局晴れることはなかった。10時過ぎから天気は雨に変わった。赤岳に登り、ゴツゴツした岩肌を縫うように降りていく。岩が浮いているので落とさないように、落とされたときに避けられるように注意を払いながら降りた。

今回のコースの中で一番の難所(樹林帯を抜けて1枚岩をはしごとロープで超える箇所)に差し掛かったところで雨が降ってきた。岩の左側には「(あの世への)行場」の文字が。このときばかりは周り一面真っ白にガスっている天気に感謝した。こんなところで下を見てしまえば、ぼくの脚なんて簡単にすくんでしまうことだろう。はしごを越えた先にロープを通す器具があった。人によってはここにロープを通して安全を確保しながら進むのかもしれない。ぼくもそろそろロープワークを覚える必要があるかもしれない。

その後はもうただただずっと降りて降りて降りまくった。コースタイムを大幅に短縮して得意気だった。あっという間に旅は終わってしまうなんて思っていた。そして最後の分岐、ラスト1時間30分程度のところで、道を誤った。調子に乗ってミスをおかす、この過ちをぼくは生まれたときから何度繰り返したのだろう。30分程度降りたところで、メンバーの一人が道を誤っていることに気づいた。確かに降りても降りても傾斜が変わらず、なんか変だった。まずはみんなで会議を始めた。いまの場所を確認する。迷ったら「降りるな、動くな」が鉄則ではあるものの、ピンクテープがあること、方角上、ほぼ間違いなく行きに通った道に出ることから、このまま降りることにした。着替えも水も食料もガスバーナーもツェルト(簡易テント)もあったことも降りる選択を助けた。

結果、無事に行きに通った道へと出た。どうやらあの道は旧道だったようだ。

赤岳天望荘の系列、八ヶ岳山荘まで下る。お世話になったので社長に無事下山したことを伝えてもらいたいと伝えると、なんとご飯までご馳走してくれた。なんというかもう言葉がない。大感謝。

いろんなことがあった一泊二日。充実しすぎて、三泊くらいの満足感があった。

さいごに道を誤ったことで、地図とコンパスの重要性を感じた。今回のメンバーで地図読みの登山を企画することを
約束し、帰宅した。

山登りは、楽しい。生きるために登り、生きるために降りるのだ。