年が明けた。

年が明けた。

2016年、ひとつだけじぶんでじぶんのことを誉められるとすれば、ブログを書き続けたことだ。2016年はこのブログを通じて、いつのまにか色々な出会いが広がった年だった。出会いに来てくれた方々ほんとうにありがとうございました。ほんとうの気持ちで書いた記事であれば、ぼくが書いた文章でも誰かの心に届く可能性がある、という手応えみたいなものが少しばかり持てました。あなたのおかげです。ことしもどうかよろしくお願いします。

2017年も、このブログを通じて、いろんな人と出会えたらとても嬉しい。ぼくの頭の外にある出会い、そういうものが希望だと思う。今年はたくさん旅をしよう。待ち合わせ、たくさんできたら良いな。仕事は不完全燃焼してしまったので、このつらさをなんとか糧に変え前を向いて頑張りたい。

晦日はあまり大掃除らしい掃除ができなかった。最低限の掃除だけ済まし、毛布や掛け布団を干して、そばをつくった。長崎で買ったあご出汁をメインに鶏肉とたまねぎ、かいわれ大根でつゆを作り、年越しそばとお雑煮のベースとした。そのあと何をしていたのかはいまいちわからない。ワンセグをみて、音楽を聴き、散歩に行き、写真屋さんでプリントして、そんなことをしていたら夜になっていた。がきつかをワンセグで見ながら夜道を歩く。

そのあとは、王子でやっている狐の行列に参加した。王子という街は実はそれなりに古く、江戸時代には避暑地、行楽地として賑わったそうな。平成の東京と江戸の江戸は街のサイズ感がちがう。まあ王子の狐という落語もあるくらいなので、それなりに歴史ある街なのだ。北区といえば赤羽や十条が有名だけれど、どっこい王子の街はなかなか侮れない。この王子の狐というイベントはぼくがこどもの頃にはそれほど大きなお祭りではなかったけれど、最近はちょう人気イベントで、王子にこんなに人が集まるのはこの日と桜の季節だけ。外国人観光客も揃い踏み。地味で気の良い根暗の集う優良イベントとなっている。来年は正式な参列者として和服を着て狐の面をかぶり、あの道を歩いてみたい。

途中、扇屋の卵焼きといなり寿司が安く売られていた。あの値段は買いだ。和菓子屋さんのおねえさんがとてもきれいだった。幼稚園の敷地内にある稲荷神社まで参列し、参拝。参拝を待つ。尿意。寒い〜。石持ち上げて祈りの成否を占うやつは新年早々猛烈な勢いで襲いかかる尿意をなんとか食い止めることが出来るか否かで占う方式に勝手に変えてみたところ、なんとか食い止めることに成功したので2017年は良い年になりそうです。

そのままの勢いで王子神社巣鴨のとげなし地蔵へもお参りに出掛けた。歩いている最中、新年の目標について考える。目標まで落とし込めなかったけれど、大きな方向としては、いらないこだわりを脱ぎ捨てることを意識してみたい。大したことも浮かばないまま床について寝た。

元旦はお餅を焼いて雑煮を食べて寝た。自分で撮ったお気に入りの写真を壁に張った。景色やスナップに大切な友人の写真をしのばせた。大切なものに囲まれながら生きていきたい。3年間、白と緑と生活感だけだった部屋がすこし色づいた気がする。目がわるく、はっきりとは見えないのだけれど。

お正月は2日から、両親の田舎へ。兄から前日に何時の電車で行くか聞かれたので返信したが、翌朝になって一本前の便にしたと言われ、一緒に行くんじゃないのかよ、なんのあてつけだって思った。すこし時間を置いてから、「奥さんがいるんだから迎えに来てもらえば、おれは歩いていくから」と返信できるくらいおとなになった。前だったらこんなことでヒステリックに怒り散らしていたというのに。

兄が嫁を連れて初めての帰省。そもそも田舎にぜんぜん挨拶に帰っていなかったようで会う人会う人に小言を言われていた。おれはわりと帰っている。もう祖母は95歳と98歳になる。会った瞬間に歓喜して泣いていた。外タレかよ。嫁です、と紹介するときの兄の声が震えていた。31と28にもなって○○くん、○○ちゃんと呼ばれるのはさすがに気が引けたものの、自然と返事をしてしまう。おじさんが退職してからいきいきとし出していて、農業や登山を始めるなど、なんか良い感じになっていた。祖母は「床もお風呂も掃除してくれる。感心の息子だよ、直接は言わないけれど」と言っていて、ああ良い関係だなと思った。

耳が聞こえなくなったり足腰が弱くなったりしながらも、祖母は生きている。数十メートル歩くだけで「くーっ...」と息のような声を漏らしていてつらそうだった。あんたが結婚するまでは生きられないかもしれないなと言われたが、予定のないおれの結婚なんかに関わらず長生きしてもらいたいところだ。休日は何してるんだと聞かれ、山に登っていると言ったら「それじゃあ恋人はできない」とがちトーンで説教食らったのは記しておきたい。

兄たちは日帰りで帰った。ぼくは翌日、かぞくで初詣に行き、その足で大きなスーパーへ。祖母の買い物に付き合った。車イスを押すということがもしかしたら初めてだったかもしれない。押す側の人がどういう感情なのか、いまいちわからなかったけれど、あたりまえとしか思えなかった。歩いて、手をつないで、車に乗って、そういう生活のなかの移動と地続きな移動。ただ毎日続けること、認知症などの症状によってこちらの負担もおおきく変わるだろうな。歩くこともおぼつかないのに、手持ちバッグが欲しいと言う祖母。おしゃれの力はほんとすごい。親父は持てないんだから肩に掛けるショルダーにしておけって怒っていたけれど、こういうのはべつに実際に使えなくても良いと思う。頭ごなしに否定する必要なんてない。気分が乗ったのか、ズボンや靴下まで買っていた。みんなで回転寿司に行きたくさん食べた。祖母はいくらの軍艦は海苔が噛みきれず吐き出してしまった。帰宅後に「醜態をさらしてしまった」と尊厳をなくしたかのように祖母は言っていた。確かにかつての祖母とはちがうかもしれない。けれどこれは、老いることがどういうことかを子や孫に教えてくれているということだと思う。ぼくらはみんな急死しない限りはそうなるリスクを持っているのだから、助け合っていけばいい。

まあ確かに28歳のおれですらいくらの軍艦は海苔が吸湿して噛みづらいときがあるな。そもそもいくらの軍艦というパッケージ自体に問題がある可能性もある。寿司屋には海苔に切れ目を入れるとか海苔じゃなくて別の食材を使う(たとえば刻みキュウリで巻く、生海苔に替える)とか、咀嚼力の弱い人でも楽しめるように、もっと選択肢を増やす工夫をしてもらいたいところだ。そもそも軍艦って。明らかに明治維新後の新しい文化じゃねえか。守るべきなのかそれ。いま平成だぞ。せめて海苔を外したリニア巻きとか新幹線巻きくらいあってもいいだろうに。こういうアイデアの世直しを生業にしたい。

こういう思い出も、最後かもしれないと思いながら、大切にしていたい。