おもしろくなって参りました

土日は洗濯をする以外はだいたい寝ていた。桃がうめえ。土日で体調がおおかた戻ったかと思えば月曜日の朝からまた体調が悪くなり、これはつまり仕事のストレスなのではないか。それから職場は冷房がきつい。ちゃんとスーツを持っていかなければ。

ようやく新しい部署でも協力の輪が生まれ始めた。ここからだ。イライラしそうになったときにはしゅらーっとイライラを手放せるようにしたい。エチケットとして、他人にじぶんのそれを見せることがないようにしたい。いつからか、ぼくの鼓膜に悪意が残りませんように、ということを3分の1くらい本気で願っている。そういえばいつのまにか、ひとりでいるときにふとなにかを思い出して「くだらねえ」と吐き捨てるということがほとんどなくなった。自分でも好きではなかった癖はどんどん手放していきたい。考えても仕方のないことを考えないことはメンタルヘルスのために大切なことだ。

最近、心が腐ることについてよく考える。人はなぜ腐ってしまうのか。理不尽がもたらす積み重なった心の摩擦は、いつかその人の性格に擦れを生む。受け身な姿勢は行動を分析にとどめ、不平不満は視野を狭める。そうやって小さくなった畑は、自分を甘やかし根を腐らせてしまうのだろうか。自分だけが頑張っている、自分だけがこんな目に遭っているという思考は何によって生まれるのだろうか。そしてそれは何によって防ぐことができるのか。そこから這い上がるにはどうすればよいのか。

独我的感性はコミュニケーション不足から生まれることもあれば、優越感のような取り組むモチベーションから生まれることもあるだろう。怒りや優越感のような感情が強い行動を生むことはあるけれど、それだけのチャンネルで働くということはとても空しいことなのかもしれない。
腐る過程は、遠回りなようで、大切なことに気づくための近道だったようにも思う。仮に、僕のとなりに腐りそうな後輩がいたとして、自分はその人にどうすることができるのか。腐ることが防衛手段である場合だってあるはずだし、腐るかどうかを決めるのは結局、その人だ。

仕事中、打ち合わせをしていると後輩たちの上司への不満が爆発し、みんなが腐りかけたシーンがあった。合いの手のようなタイミングで「おもしろくなって参りました」って言えたことにじぶんのなかの成長を感じた。数年前に前の部署で先輩がおんなじような場面でおんなじような台詞「そろそろ本気だすか」ってこぼしたときに、矢継ぎ早に降りてくる業務指示へのストレスで滅入りそうだったぼくは、とても救われた。だから、少しでもあのときの先輩に近づけていたら嬉しい。同時に、後輩たちから学ぶこともある。困っていることを率直に相手に伝えることで、相手も自分もプラスに傾くシーンがあると知った。いままでぼくは、課題があった場合、じぶんにできることに置き換えて考えることばかりで、そうすることが建設的で、仕事ができる人の第一条件だと思っていた。しかしある意味、困っていることを上司に伝えることを恐れていたともいえる。じぶんにできることにまで還元して仕事をするスタンスはとても貴重で大切な反面、率直に思いを伝えることも大切だと知った。ただし、不満というのはたいてい自分自身も周りの人間もマイナスに傾いていくから、向き合い方がとてもたいせつなのだけれど。