針通しの仕組み

二月末から続く仕事のプレッシャーのせいか、最近は再び血便が出ていた。結構な血量。生理かよ。一年前とはまったくちがう職種の仕事をしているため、もはや賃金や待遇の変わらない転職だ。勝手がわからず、ツボを押さえるのに時間が掛かる。拙い英語のコミュニケーションも、なかなか難儀だ。要領を得ないときには英語のうまい人が分かりやすいように言い換えてくれるから、ぼくはなんとかやれているのだ。

毎日毎日、自分の状況を嘆いたり、誰かのせいにしたがったり、感謝をしたり。まったく感じようが忙しいな。しかしやれるだけのことはやったので、もうどうなっても良いだろうという気もちで臨めた。金曜日、ようやく、ようやく、その仕事に一区切りがついた。ここからが始まりだし課題は山積しているのだけれど、いまここを、全力で喜びたい。

実感などなく、ただ少しホッとしていた。受験の時みたいだ。次のことを考えて帰社すると、前の部署からお世話になっていた先輩がすごい勢いで駆け寄ってきて、泣きながら喜んでくれた。そんなに喜んでくれるなんて。その姿を見て、喜びを初めて実感した。「だってめちゃめちゃ頑張ってたやろー」と言ってくれた。泣きそうになったので、ぼくも泣いちゃうのでやめてくださいと伝えた。その言葉が合っていたのか、いまもわからない。でも、嬉しかった。ほんとに、ほんとうに嬉しかった。きっと先輩の心が動いたことで、それを引き金に、ぼくの心も動いたのだとおもう。リーマン道の通すべき筋の先に、心がふるえる瞬間が、また落ちていた。心がふるえる瞬間が欲しくて、ぼくは仕事をしているのだ。誰かと喜ぶこと、それを抑えたり、煩わしく思ったりすることは絶対にやめよう。今週は一年以上前に見ていた夢のデジャブが数回あって、神様がこの道で良いと言ってるんだな、と自分勝手なコミュニケーションを得た。

帰宅し、大好きな汁なし担々麺を食べて眠った。一日の終わりに最大の贅沢を与えてくれるこの街に感謝を告げた。眠る前、電気を消したベッドの上で、お疲れさま、よく頑張ったなと自分自身に声を掛けた。

久しぶりの二連休。仕事のことを思い出しそうになる刹那、立ち上がり始めるその思考を一流の殺し屋のような所作で速やかに駆逐している。土曜日は一日中ごろごろしてYouTubeを見ていた。日曜日もほとんど変わらず。洗濯をして少しだけ掃除した。そしてワイシャツやスーツにアイロンを掛けた。6年間、ワイシャツにはアイロンを掛けない主義だったのだけど。ただめんどくさいから、にほかならない。スーツのボタンがほつれていたため、針仕事をやった。針仕事は得意ではないのだけれど、仕方ない。最近になるまで、針通しの仕組みがわからなかった。おれのIQなんてその程度なのかもしれない。針穴に対してねじれのような関係性の糸が、通るわけない針穴に、するりと交差する。針通しみたいな仕掛けの出会いが人生にもきっとあるとおもう。訳知り顔で何を言うのか。

先週のうちに漬け込んでいた肉を焼いて食べた。先週のおれは何を思ったのか、イカの塩辛とキムチをベースにしてしまったせいか、魚の臭みがものすごく、単体ではなかなかつらかった。ラーメンに乗せて中和させて食べた。

さきほど、仲の良い同期から子どもが生まれた連絡があった。一時間ほど前に、ちょうどその同期のことを考えていたのだった。赤ちゃんはめちゃめちゃかわいかった。母子ともに健康でほんとによかった。名前はなんていうのだろうな。