平賀さち枝/片想い ツーマンライブ@mona records 8月7日

平賀さち枝/片想い ツーマンライブ@mona records

2012年8月7日は忘れられない日になった。

七尾旅人の「リトルメロディ」をフライングゲットし、
CDプレイヤーで聞きながら、
夜まで下北沢をぶらぶらぶらぶらぶらぶらぶらぶらぶらぶらした。

その後mona recordsへ。

初めは平賀さち枝のアクト。

初めて見る平賀さち枝は思っていたよりも小さく、
思っていたよりも大人の女性だったが、時折あどけなさみたいななにかも感じた。

あれはひょっとすると、
巨乳をショルダーバッグで強調したり谷間を見せたりするような
あざとさの匂うエロさの対極にあるような
なにかだったのかもしれない。

音楽は、青葉市子が毒と白い呪文で世界を清めていく、年齢を越えていく存在だとすると、
平賀はいまの年齢の世界を歌っているように思えた。

歌とギターから、電車と海を感じることが多かった。
今回の演奏からはものすごい衝撃を受けることはなかったけれど、
そういうスタイルを持っているのはやはりすごいことだと思った。

帰りに音源を改めて聴いてみた。意外にバンドサウンドなんだなぁ。
今度はバンドで聴いてみたい。

平賀さち枝の初ライブは3年前、
あだち麗三郎と中川理沙だったなんて話は
あの場でしか聞けないものだったと思う。
日常の奇跡みたいなストーリーがあった。

ツーマンをやることになったきっかけも平賀がYou tubeの「踊る理由」を観て、
ツイートしたことだったという話も面白かった。

そのあとの片想いは物凄かった。

あのときあの場は、観客も含めて無敵だった。

少なくとも音楽が鳴っている間は、ステージにいる片想いのメンバーと、
対している観客は一体だった。

音楽は(道を必要としない形で)ぼくらを通り、距離と高さを越えていくものだと知った。

音楽は聴き手が完成させるという意味がやっと説得力を持った形でわかった気がした。


鳴り続ける音楽のなかぼくは、音楽の速度について考えていた。
それは楽曲のピッチという意味ではなく、
かつて寺山が「想像力より高くは飛べない」と言ったのと同じ意味で。

果てしなく遠く思えていた距離や高さを元々そんなものなかったかのように思わせるそれは、
速さなのだろうか。

速いとは、時間当たりの道程の割合が大きいことを指すはずだが、
音楽が道程を0に近づける現象をぼくらは何と呼ぶべきか、と。

妄想はこのへんでおしまい。


片岡しんは圧倒的なソウルマンだし。伴瀬さんの存在感はやばいし。MC sirafuの身を切るような表現力。
いやもうバンドの誰もが欠かせないひとりだった。

気がつくと、「すげぇ…」とつぶやいていたほどです。何度も。

「踊る理由」はもちろん素晴らしかった。
どれくらいかというと、おわったあと、一瞬(二秒くらい)の沈黙のあと、沸き立つ大歓声!
考えるより先にフォー!とか言っちゃうくらい。

アンコールでやった「棒切れを振り回しても仕方のないことです」的な歌もすごい良い歌だった。

鳴り止むな、Good Music!

最近観るライブ観るライブが素晴らしすぎて、ちょっとこわい。