ロロ「父母姉僕弟君」

ぼくは信頼できると思ったブログは、
最初からすべての記事を読んでみることにしている。

お会いしたことはないけれど、
このブログをはじめようと思ったきっかけの一つは、
「青春ゾンビ」hiko1985さんのブログだった。
(もちろんhikoさんのブログもぜんぶ読んだ。)

そこには、敬意と羨望と、恐れ知らずながら、
ほぼ同世代への、少しの対抗心(おれだって!みたいなもの)
すらもあったのかもしれない。
(いまでもhikoさんのブログは目標の一つであり、ファンのひとりです)

そんなhikoさんのブログを見て、
ロロの「父母姉僕弟君」に行ってみようとおもった。
地元だし!芝居ってほとんど観たことないし!

当日券を買って近くの蕎麦屋でお昼。しばし待つ。
この蕎麦屋はつゆが煮干だし(たぶん)で好みなのです。
蕎麦とは思えない透明さ。

さて、1列目中央に席を取った。
パンフレットに載ってた文章でもう信用できると思った。
芝居を見るのは高1以来。ちょっとドキドキ。

ワケわかるはずもないストーリー。
だけど不思議とわかった。それは一瞬だった。
説明はできないしする必要もないけどさ。

ぼくが拾ったキーワードは、
「remember」と「想像力」と「家族」。

個人的に印象的だったシーンがいくつかある。
森永重樹のつっこみたい!シリーズの頂上。
いかれた世界、壮大な世界のボケにツッコミを入れたい、という欲求。
We are the world」へのつっこみのシーンだ

なんでやねん!なんでやねん!なんでやねん!なんでやねん!なんでやねん!
からの、まるでエヴァの最終話。
なんでやねん!!!!!なんでやねん!!!!!!!!!!なんでやねん!!!!!!!!!!!!!

それから、死体を捨てられたキッドが陸生の片腕を仙人掌から取り返すシーン。

笑った。たくさん笑った。
そして涙した。たくさん涙した。
シュールの一瞬から紡ぎだされる確からしさに、ぼくは涙してた。

――そうか、大事なものを大事にすることはかっこいいことなんだ。
それが周りから見て、もしくは論理的にも少しおかしいことであっても。
たとえ、獣のような腕でも、死体でも。

大事なものを大事にしようと思った。

最後のシーンもよかった。
「壁をぶっ壊す行為」そのものよりも、
その穴から浴びる光とキッドの影がうつくしかった。

光って、まっすぐなんだ。なんて考えてた。

ぼくはロロの芝居を観るまでは、
王子小劇場で演るような芝居は(平たく言えば)アングラで、
もっと敷居の高いもので、
誤解を恐れず正直に言えば、すこし自己満足的なものだと誤解していた。

カルチャーの神様に懺悔を!ガッタ!

しかし、実際彼らの芝居は、とてもおもしろかった。
トガっててポップだった。

今日、世界から誤解がひとつなくなり、好きがひとつ増えた。
まだ見ぬ好きは、いつだって知らない世界でぼくらを待っている!


天使の雨天球さんは「私のことを忘れないで!」と言った。
ぼくは忘れたくない。今日のこの物語を。

「毎日がブランニューデイ」


すべての台詞と細部までを覚え続けることなんてできない。できるわけがない。
だからぼくは、こんなふうな温度で、rememberし続けたい。
大事なことだけ、忘れたくないことだけ、覚えていたい。


筋骨隆々の強さよりも、
文化系なで肩男子の、ひょろひょろした強さをぼくは信じている。

時代の閉塞感に穴を開けるのは、
体育会系的な強さではなく、ポップカルチャーだと信じてる。

ビートルズを見て泣き乱れた少女の強さこそがすべての始まり。
その涙はいまも、東京は王子の地下で脈づいていた。