ロックンロールはいつだって

ベランダの蝶がさなぎから孵り、羽を乾かしている。

旅立ちの朝だ。
ぼくのお盆はこれで終わり。

これからあなたの世界は、最近掃除もしていないベランダの一角から、
青空ときれいな花たちと幸福と祝福と、
納得できる理由なんて一つもない不条理と、
ベランダとは比較にならないくらいの汚れた悪意とが、
渦混じった世界へと変わっていくのでしょう。

ぼくも世界のことなんてよくわかってないけれど、
せめて遅れていただいたお中元をあなたのために鳴らしたいと思った。
誕生が強い孤高で始まることはなにより尊い
でも、祝福である方が、人間のぼくにとってはすてきなようにも思う。

ザ・なつやすみバンドワンマンライブの夜を思い出している。
モチーフとしての「夏休み」はとっくにはみ出している。

中川さんの、鍵盤を叩くというよりなでつけるような仕草や、
中川さんの低めの声から出る「ありがとうございました」が好きだ。
中川さんの低い体温のヴォーカル。
諦色透明で、ときに凛とした強さが出るヴォーカルが好きだ。

sirafuさんや関口さんの演奏中の形相を思いだす。
真剣と覚悟の極とはきっとこんな姿なのだ。

この動画では見えづらい村野さんが叩く濃淡、
高木さんがつなぐグルーヴ。

そのリズムに、謳音カルテットの旋律が重なった時の僥倖。

後ろの観客が、演奏中に我慢できず歓声をあげていることも納得だ。
こんな演奏をした後の幸福の総量というのは一体どれほどなのか。
それとももっと穏やかな幸福感だろうか。
知りたい。

確かなことなどひとつもなさそうなこの世界で、何を頼りに生きていけばいいのか。
こんな問いを誰でも一度は考えるはずだ。

ぼくが音楽を聴く理由のひとつに、いつからだったか、
いつのまにか、「確からしさを探したい」というものが追加されていた。
こんなライブに遭遇した日には、ぼくにとっての確からしさを確認できる。

何が正しくて、何が間違ってるのか。
そんな問いにたいした意味はない。
でも、なにが確からしいことなのかを探すことはとても大事なことだ。
昔からいつだってロックンロールはそういうものだったに違いない。

処暑も過ぎたというのに、これから大学の友達と納涼船で飲んできます。