両思い管打団!とうつくしきpopoり

9月9日と9月10日、POP UNDERGROUND SHOWCASEに行ってきた。
9日は「かきつばた・三田村管打団?・片想い・両想い管打団!」を。
10日は「popo・うつくしきひかり・うつくしきpopoり」を。

9日は渋谷WWWで。
開始早々三田村管打団?のCDを2枚買う。
「いまならステッカーあげますよー」と言われたが、
おんなじやつ入り口でもらってるぜ!笑
そのあと「2枚つけますねー」って言ってたけどさ!
でも3枚もらった観客はそう多くないはずだ!笑

この日はかきつばたから終始揺れっぱなしだった。

ポストロックがどんなもんかぼくにはいまいちわかんないけど、たぶんそれに近いものだったように思う。

さて、ときは中世。いや、2012年。
観客の間を歩きながら鳴らす楽団を見つけた。
最上段のPAスペースから、まさに行進曲でスタートした三田村管打団?

絵を描け!空気に絵を描け!
ふとそんな言葉が管楽器の中から聴こえた気がした。

鳴っているのは、ファンファーレなのか。セレナーデなのか。
しかし最後は和の祭りの音頭を混ぜながら。音頭を洋で鳴らす妙。

その後は!待ってました!肩重い!片想い!
MC sirafu兄さんのギターはぺきぺきでございます。
ぼくはこういうギターが好きだなぁ。

曲からは、飛行機の窓から見る海と雲が見えた。
2000km先に届いたのだな。
もうこうなったら楽器が絵の具だぜ。


片岡しんはソウルマンすぎる。日本のソウルマンすぎる。
オラリー絶対きれいになった(まだ二回しか観たことないけど)。ワンピース似合う。雰囲気が出てる。

なんとなくこの日、
「片想いは節で区切りのキメ(間)をつくらずにつなげる曲が多い」
と思った。


最近ぼくは「信を置き切って聴く」という聴き方をマスターした。
この聴き方はもう母親のおなかの中にいるような感覚とでも言えばいいのか。

それから、耳を引っ張ったり、視界を手で狭めたりしてるのだけれど、
それだけで少しずつ聴こえ方が違う気がしている。
今の時代、聴く側だって新しいものに挑戦だよ、キミ。←おおげさ



両思い管打団!になってからはもう、
自分がこんなに幸せになれるのか、楽しくなれるのか、興奮できるのか!
と思いました。
sirafuさんが年一回だけお薦めに選べるならそのライブは今日だと言ったのだから当然間違いはないのだけれど。


動のライブ(YEAHって言えー!系の踊り果てるライブ)ってバカになりきれない自分がいて、個人的には難易度が高い。
みんなが盛り上がっているとそのギャップで一段と急速に冷めていく瞬間がある。
好きな楽曲のときはいいんだけど、自分はいまいち好みでない楽曲に周りが盛り上がってるとなおさら。そのために満足度が低くなりがち。
回りに気を遣って盛り上がろうと試みるも出来ずにさらに盛り下がる。生きづらくなるほどのお人よしにはご用心。

でもこの日の片想い・両想い!にはその心配は皆無だったし、
踊る理由はもうそらぁあんた。踊る理由の曲名そのまますぎて。
躍る理由なんてわかんないけど、いまのぼくは躍らずにはいられない
つまり、踊る理由が躍る理由。

見れなかったあなた、もう残念過ぎてお線香でもあげたいです。ちーん

この世の生を受けた喜びは日常に結構転がってるけど、
あなたはこの日確実に一つその喜びを見過ごしたのである。のである。


正直ね。もっと書きたいんだよ。
でもね。もう幸せすぎてこの日の思い出は重力に逆らって昇ってったわ。
だからもうかけない。
幸せは重力をこえる。かもしれないよ。



9月10日。
神保町イワト

この日は残業&超空腹な中急いで駆けつけてビール頼んだら
俺の胃腸にビール爆弾直撃!

しかも連日の疲れがたたり風邪ひいた。
ライブ行くまでにうがいすりゃよかった。

いや!でもみなさん聞いてください!いつか聞いてください!
この日の「木漏れ日のうた」を。

popoはスタッカート?を多用してて超心地よい。てかこんな音楽聴いたことない。
編成的にも不思議。不可思議。

でも本当にとても心地よい。
ビール爆弾直撃がまぬがれていたとしても、
おれはあの日夢見心地で音楽を聴いていたと思う。

そしてみなさん。
その後、うつくしひかりですよ。

中川理沙の楽曲は、「いきものとのつながり」を感じる。
つながり、というよりはにぎわい、なんだけれど。

生きものの一員であることを思い出す(Remember)、というか。
小さい頃、田舎の森や原っぱをかけまわったときのあの感覚ですよ。
メイがトトロに会う時のあの気持ちを少し希釈した感じですよ。

「生命の賑わい」とも言えるようなはかなき者たちの世界を、
たっぷりの静寂と休符と余韻をもって歌うのであります。

そしてその景色がいつのまにか自分の暮らしと交差していく。
いきものリメンバー的な音楽。

中川さんの鍵盤の音色が空から産み落とされたものだとしたら、
湖面に広がっていく波紋がスティールパンの奏でと言える。
だからか、彼らの楽曲には雨や水がよく出てくる。

手を握ったり、笑いあったり、見つめあったり、黙りあったり
――まるでそんな感覚で、中川さんの諦色透明な声と鍵盤、
そしてMC sirafuのスティールパンが交わり合うのである。

心のどこかにある、もっとも頑なに握られる拳が、すこしずつ溶け出すような歌たち。

「木漏れ日のうた」のあるフレーズが頭から鳴り止まない。
終焉直前に繰り返した「鳴り止むな!」
――その願いは届き、叶い、心に響き続けている。ありがとう。


青森の友達からとどいた音楽の手紙、「雨」という曲を急遽演奏。
そのあと「ゆうびんやさん」へ。

直後のMCで
「今歌っててゆうびんやさんも手紙だ」って気付きました。
 なんか音楽の手紙を音楽の手紙で返せたら、素敵だね」
って中川さんが言ったら、
sirafu兄さんは
「ちょっとなにいってるかわかんない。(会場爆笑)」

「分かるよ!小学生でも分かるよ!」

いやでもゆうびんやさんってこんなにいい曲だったのか。
ライブで聴いて響いた曲だったなぁ。
この日初めのうち、中川さんの喉の調子があんまり良くなさそうだったけど、
それでもやっぱりさいこーだったなぁ。

関係ないけど、中川さんってちょっと持田香織みたい。
動物って言われたらやっぱ象かなぁ。安心感が。

最後、sirafuさんのアイコンタクトで交わろうとする姿勢にやられた。
ぼくは彼のこういう真摯なところが好きだ。