劇団、本谷有希子「遭難、」に行ってきた

劇団、本谷有希子第16回公演「遭難、」に行ってきた。

池袋西口東京芸術劇場のシアターイースト。

池袋西口は劇場のリニューアル後、あきらかに雰囲気が変わった気がする。
なんか最近土日は祭りやってるし。

この芝居を観ようとしたきっかけとしては、
このまえNHKBSで
本谷有希子がラスベガスに行ってエンターテイメントを学ぶ」
みたいな番組がやっていて。
http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20120927-10-10058

それを観たときに、こういう人好きだなぁと思った。
番組のなか、本場で大人気のカナダの某サーカス集団を観て、周りが超盛り上がる中、
「正直、私はそうでもなかったかも」と言ったりして。

ただ、それを言う時も、目に涙浮かべながら、
これ言っていいのか迷うけど、うーん…って感じですっげー言葉を選びながらも、
でもやっぱり自分にウソはつけないし、
でもNHKで言っちゃうことの影響とかもきっと考えながらも、言っちゃう感じ。
生きづらさを抱えながらホントを生きようとする姿勢にひかれた。

「これは舞台装置で魅せるスタイルだとおもうけど、
私はもっと人間を描きたい」
みたいなことを言っていて。
それから地元のバーレスクダンサーとつくり上げていく物語もすげー面白かったし。
そういう人の芝居を観てみたいと思った。

できる限り事前の知識は入れずに行きたくて、
主演の交代、しかも女性役の女性から女性役の男性というコンバートという情報を
チケット購入の際に聞かされる以外はホントに何も入れなかった。
自分がどう感じるか、で判断したい。

「学校の自殺未遂した生徒をめぐる教員たちと保護者の事件」という服を着ながら、
実際は人間誰もの腐った部分が核心にあってそれがズカズカ見えてくる感じ。
ああ、こういうのをやりたかったのかな。

人の気持ちなんて分かんないじゃない!って繰り返し訴えるセリフ。

ぼくが泣いてる理由なんてわからないだろう

原因特定不可能論。
なんで自殺しようとしたか、なんて結局その人じゃないとわからない。
いや、実際はその人にだってわからない。
佐藤伸治っぽい曖昧さ。

天気が良かったから人を殺す、みたいなことだって、
その人にとってはホントのことかもしれない。
理解できることとホントのことって別だと思う。
それがいいことか悪いことかはまた別の問題であって。
秋葉原の事件みたいな考え方ですね。
誰でも良かったのは、誰もが悪かったから、でしょ。

私の原因とらないでよ!と訴える主人公。
他人のせいにしたい支え、トラウマにすがりたい彼女。

正常がシチュエーションで簡単に変わっていく様。
関係性の優位がセリフ一つや人間一人でいとも簡単に転換していく様。

正義感に酔ってる人、弱みに漬け込み合う彼ら、自分だけを原因から外したいみんな。


総じて言えばぼくの結論としては、
なんというか、ホントを伝えようとする姿勢は共感するんだけど、
そのアプローチはあんまり好みじゃなかった。理解は出来ても。
期待が高すぎただけにそこまではまらなかった。

ぼくはやっぱりロロみたいな、
「こぼれるくらいの愛とシュールにチラ見する確からしさ」
っていうアプローチが好きだ。

正直、笑いの趣味もあんまり合わなかったかも。
人間の陰をフォーカスするならもっと陰ってほしかった。
一番残念だったのは、
主役コンバートに期待していた「男性の持つ女性性(女形的な)」みたいな効果については、
女性の「性」を意識させるような主人公じゃなかったから、
正直「?」だったことでした。

むしろあの主人公は「女性の持つ狂気」をこそ描くモノなんであって、
それは本谷さんが意図していたであろう「男性の持つ女性性」とは異質なものな気がしました。

上に挙げてる以外で、好みを超えてよかったところ、
印象的だったのは、片桐はいりの存在感。
ほかの役者はセリフ間違えちゃうシーンも数箇所あって正直どっちらけだったけど、
片桐はいりはそういうの超越しててもう唯一無二の迫力があったわ。
あのポジションはすごい。

今回の芝居は、正直そこまでハマらなかったけど、
本谷有希子には興味があります。

ラスベガスが似合わないと言い放った彼女に。