ザ・なつやすみバンド「TNB!」のこと

ザ・なつやすみバンドの1stアルバム「TNB!」を改めて聴き直している。

TNB!

TNB!

そのうちに、この素晴らしいアルバムについて、いまのぼくが感じたことを書いておきたくなった。


甘えを消して超クールに、かつユニークなリズムで濃淡を叩いて耳を掴む村野瑞希さんのドラム。ロックンロールに転がっていく曲をさらに力強く回転数を上げていく高木潤さんのベース。

二人のリズム隊が生み出す回転にのっかって、素早く楽器を持ち替えながら奔放に色をつけていくMC. sirafuさん。その中心に据えるはスティールパン、そしてバンドの飛距離をどこまでも伸ばしていくトランペット、才能を贅沢に施しまくった楽曲に切ない淡色を加えていく鍵盤ハーモニカや縦笛。

こどもの持つ詩的なまなざしと、変えられない世界を知った諦め、想像世界への小旅行(しばしば逃避と呼ばれるもの)でセンシティブな自分を救い出す試みとを織り交ぜた歌詞。
ジェンガのように音を抜いて作る鍵盤の疾走音を伴って、まあるい輪郭で、ときに気だるくときに伸びやかに歌う中川理沙さんのヴォーカル。さらには、その魅力的なヴォーカルを厚くするハッピーバンドらしい、しかし決して聞いたことのないコーラス。小さな楽器をたくさん使って生み出す、いきもののにぎわい。

どこかで聴いたことのあるように思えるほどの親しさをそれぞれの楽曲が持ちながら、ザ・なつやすみバンドが「ただのいいバンドのひとつ」で終わらないのは、これらすべてが重なった時にぼくらのなかになつやすみバンドというチャンネルが、個性が奇跡的に立ちのぼるからだと思う。

アルバムが描く物語に話を移そう。

M1.なつやすみ(終)で始まるTNB!
この曲を以て、通過していくことへの諦め、つまりはモチーフに掲げた「なつやすみ」はほとんど表現しきっているとぼくは思っていて。途中で足場を失う視点の転換が面白い。これ以降は通過、というより世界への諦めを足場に嘆きや祝福を奏でていく。続くM2.せかいの車窓からでは少しずらした中川さんのカウントと滑らすようなシンバルのリズムが耳をつかむ。M1で作り上げた夏の残響、余韻を下敷きに別れを歌っていてそれが独特のタッチを与えている。

傾きすぎた独楽をなおすように、M3.天の川ではメルヘンチックなまあるい曲、こどもや動物へ向ける視線を足場に歌をつなげる。しかしM4.自転車でその景色は反転する。他人と共有している外の世界(しばしば現実と呼ばれるもの)から見れば、逃避も嘘も世界を変えない。でもその嘘に、他人と共有しえないセンシティブな心が救われることがあったっていいじゃんか、とぼくには思える。音が鳴り始める前と同じ位置で日常に返っていく。同じ位置に立つぼくらは、でも、きっと何かが絶対に違っていて。

ワンマンで関口将史が引き連れた謳音カルテット。彼らが流す弦楽の河に運ばれて、バンド全員がリズム隊となりながら全体でメロディーを積み上げていく。いつも低目の体温で歌う中川さんだけど、この歌で伸びていく声には確かにまっすぐと届く熱がある。もうこれはまるで麦ふみクーツェだ。

麦ふみクーツェ (新潮文庫)

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バンドの風を真っ向から受けて離陸する心をM5.君に添えてM6.傘はいつもが包み込み、M7.悲しみはぼくをこえてでザ・なつやすみバンドは結実し、さんっと散る。
それはロックンロールだ。ベースとドラムが転がすロックンロールだ。その回転にスティールパンと厚みのある鍵盤が色をつけ、中川さんの声によってさらに力を増して転がっていく。

言えない言葉は、雨に流されないように
歌う、絵を描く、抱きしめる、なんでもいいよ


交わりへの希望すらも運ばれて、なお回転は止まらない。転がり続ける。みずきちゃんの、か細いけれど透度の高いコーラスとsirafuさんの泣きのコーラスが加わったラスト、回転はついにはじけ飛ぶ。散り残ったものを探す。でも、隙間はもうない。 奥の奥の奥の、その奥に隠れた隙間に、M8.ホーム、そしてM9.がらんで、じっくりと浸み入るように音が鳴る。

TNB!(終)を飾る曲が、10.お誕生日会
ぼくがTNB!の中で一番好きな曲、でんぐり返しでロックンロールだ!たくさん使う楽器のせいだろうか、コーラスのせいだろうか、いきもののにぎわいをもって奏でる祝福歌!

悲しい日々を いくつも越えて来れたんだね!
ご褒美はいっつも そこらじゅうに溢れてる
もっと知りたいと思うんだよ
ちょっとあきらめることもあるけど!

すべてだ。すべてでラストに向かって運んでいく。「7.悲しみはぼくをこえて」の回転が再び。回転は積もっていき、希望とかてやんでぇな気持ちとかぜんぶを含んで、最後にはじけ飛ぶ。あの速度だ、落としていくものもあるだろう。しかし、かれらは運び切る。余韻の後ろに鳴る音はいつもちがって、街の雑踏だったり、セミの音だったり、雨の音だったり、Maikoだったり、子どものはしゃぎ声だったり、季節変わればコオロギだったり、めくらまし!だったり、テレビのニュースだったりした。
それでもだいたいいっつも、このアルバムを聴き終えたぼくはなにかに満たされていた。それはきっとロックンロールが唱える魔法だと思う。

ザ・なつやすみバンドのライブに行くと、彼らから真っ向に風を受けて、身体がひゅわーっと浮揚する瞬間がある。あの静かな揚力は、ぼくやぼくのなかの忘れていた記憶や感情を引っ張って、そのかたまりはしあわせに膨らみ、一瞬なにかがわかった気さえする。単純な話、あの小さな揚力が音楽なのかもしれない。
あの一瞬の感覚が欲しくて、ぼくはまた彼らのライブに行く。