蓮沼執太フィル@東京オペラシティリサイタルホール

スノボでGottAガタの身体をひきずって起床。
2日間のことを思い出していた。


ゲレンデはずっとずーっと雪だった。

それでも最終日、ゲレンデではお天気雪が降っていて、
「太陽が覗くとなんだかそれだけでとっても安心する。嬉しいね。」って、
ゲレンデ放送のMCのお姉さんが言ってたのを思い出して、
ああいい言葉だなぁと思った。

心がほぐれて、身体がすこしほぐれた気がした。そんなわけはないけれど。


昨日は蓮沼執太フィル@東京オペラシティリサイタルホールを観た。


今回のチケットはまるで雪上にいて

TOIROCK FESで観た木下美紗都がすごい良くて音源も良くて、
ライブに行こうと思ってこの蓮沼執太フィルの動画を見つけたら、
こっちにも行きたくなってしまったからだった。

木下美紗都の声は透明よりも透明かもしれなくて、もうそのまま消えてしまいそうなはかなさは、
どうしてこうも切なげで愛おしいのだろうかと思う。

一部の終わりに詩の朗読を混じえた「TIME」という楽曲があって、
彼女が読む散文、

「なめらかな接着剤ふくらんだからだはちょうどいい大きさにおさまって足の裏はぴったりと地面にくっつく」

は繰り返されるうちに、息継ぎと促音からリズムを獲得し、
それは散文がいのちを吹き込まれる過程でもあったように思う。
それは子宮の中でリズムを獲得していく心臓のようでもあった。
そういえばぼくが脳死を認めたくない理由はそこにあるのかもしれない。


それでぼくは、忌野清志郎が促音や濁音を多用して日本語ROCKを産んだ、
というひとつの方法論を思い出し、
その極地だと(RCファンとしてのぼくが勝手に)思っている「ダーリンミシン」と重ねた。


Oh お前の涙 苦しんだ事が
卒業してしまった 学校のような気がする夜

意図的に、「Gotta」を歌詞に組み込む試み。
確かに部屋が揺れている。
赤いコールテンのズボンができあがる。


それにしても彼女の歌にのっかる歌詞はいつも不思議で、
一聴しても明確なイメージや物語は浮かばないけれど、
温度や光度は伝わってしまう。

特徴的なのは声、というよりも不思議な歌詞にいのちを吹き込むような歌唱にこそあるのだと思った。

環ROYがフリースタイルで参加していて、それがすっげーよかった。
音源出してほしい。

環ROYの影がステージ向かって左側の壁に移ろっていて、
彼がフリースタイルで参加したのは数曲・数小節だったんだけど、
僕の位置からは、マリンバのK-TAさんが身体を揺らす姿に重なって見えて、
膝の上でリズムをとる姿、身体が揺れる姿に引き込まれたりした。

サッカーではオフ・ザ・ボールっていう、ボールを持っていない時の動きがとても重要だっていう理論があって、
ライブでもちょっと似てるなぁって思った。あくまでも、いち観客の意見として。

アンコールのフリースタイルは「宇宙上海初台」を、って言ってて、まるでFISHMANSじゃないか。

昨日みたいに椅子に座って静観するライブって静観が増す興奮みたいなのがあるんだよなぁ。
立って自由に踊れるとき以上に内側が熱く青く燃えるような。

音楽がただ鳴っている。
きっと今日で、麦ふみクーツェを読み終わる。