3.11周辺のライブ

3/10はこだま和文ワンマン@新世界を、
3/11はcero・田我流@WWWを観た。

正直いまは政治・経済や社会科学よりもずっと文化にリアリティ感じてる自分の温度で向き合ってみて、2013の311に思ったこと。

ぼくが311で見えたいちばんでっかいことって、日常の、生活の可能性だと思ってて。

生活の底には電気やガスが通ってて、オンタイムに電車が走ってて、食欲には気軽になんとなーくな気持ちでアクセスできて。たくさんの人が間にいて。
でも、日常と非日常の境界って実はとても危うくてちょっとの外圧で崩れてしまうバランスで成り立ってるんだなーと。

そういう、日常の底に沈殿してる過程と無自覚に省略してる前提に、311がきっかけでたくさん気づいて、そりゃあ日常が続けば我慢できないくらいイヤなこととかも起こるけど、でも、今日みたいな音楽が鳴るのもまた日常の、生活の中からなんだなって。思った。

悪夢も奇跡もどっちも、日常からしか生まれないし、生活からしか生まれない。

今日のような可能性に賭けて生活を続けられたとしたら、それはきっと素敵なことだと思う。

家族がいることとか、仕事があることとか、ひとりの時間があることとか、記憶にすら残らない会話ができる友達とか、音楽が鳴ってるまちとか、そういう日常の、生活の可能性。
そんで毎年311にはそんな可能性に針を落としたい。


3.10 こだま和文ワンマン
この前のなつやすみバンドとエマーソン北村との3マンが伝説すぎて、また観たくなった。
良いに決まってるのだが、この日は
「それでも生きるんだ」みたいなことを言っていて、その言葉がなんかすっと落ちた。


3.11 cero&田我流@WWWではよもやの残業で、
なんとかceroには間に合うように超速で渋谷に行きました。

仕事終わりのライブって結構集中できないことが多いし、
田我流くっそ盛り上がっていて一人取り残された感があったのですが
(満員すぎてステージ全然見えん!)
突然流れたヨイトマケに爆笑してからすごく集中できました。 
 
ceroはアレンジがかっこよくて、終始身体動きっぱなし。しあわせの体現。
わたしのすがたのファンクアレンジ、グルーヴとんでもなかった。
それに仮託させたたかぎさんのMC「どっちが本物なんだろう」って、すげーすっとしたよ。
リアルってなんだろう。リアリティとか信頼とかってなんだろう。
人間って、現実ってどうやって判断してるんだろう。って。


やはり高城さんの歌はまだ完調とは言えずでしたが、
ほんと全曲信頼しかなくてずっと幸せな気分でした。


3.11には正直まだ向き合いきれていないのですが、今年はその失った足場くらいは作れたんじゃないだろうかと思っている。目標は達成です。


クチロロのPVに島田桃子さんが出ているってツイートが回ってきた。
3:00~の島田桃子さんの振付はからだがしなやかにコントロールされてて好き。とても好き。

握ってるペンが絶妙で、全かわいいを味方につけてるかのような。 
地球上の全かわいいを集めて、おっきな球体をつくって、地球ぶっ壊してほしい。

このPV観てたら、ふと、いつだって〜のときのバレエを思い出した。
いつか、あの身体の動かし方で意識していること、聴いてみたいなー。


なんか書きたいことがたまってしまっているので明日は書く日にしたい。
ヨーワンのアルバムとか、安藤明子のアルバムとか、最近良いアルバムに恵まれてるなぁ。