RCサクセション「悲しいことばっかり」を買った。

RCサクセションオフィシャル・ブートレグ「悲しいことばっかり」を買った。

5/2の仕事帰り、タワレコの試聴機でまず思った。初期のRC、炸裂!
弦楽器のうねりが清志郎のヴォーカルに強い風を当てる。そのうねりがグルーヴを作っていて、リズムは重た目だ。ヒッピー並みのシャウトが次々と続く。…ただ、演奏によってはヴォーカルと弦楽器のラインが剥離する瞬間もある。気軽にリピートで聴ける種の音楽ではないことがはっきりした。言ってしまえば、ある意味疲れるのだ。

…正直、試聴機では計りかねた。
隣にあった星野源の「STRANGER」は続々と売れていく。彼のCD、ぼくも買うことを早々に決めたが、果たしてぼくはこの「悲しいことばっかり」を聴き続けられるだろうか。楽しみにしていたはずなのに、躊躇している自分が見えた。

ただ、それでも手を伸ばしたのは、この作品ができた経緯は想像にたやすかったし、ぼくの手に渡るまでの間には信頼と尊敬に値する人たちの汗と苦労と不安と使命感に緊張感、そしてワクワクが目の前の景色に見え隠れしたからだった。RCファンであるからこそ、この作品の判断は、この作品に詰められた愛と釣り合うだけのことばの下に行われなければならなかったからだった。
その時ぼくは決めた。
――「貴重で有り難い作品」という評価だけはやめよう。ピンと来なかったら、勇気を出してそれを書こう。唾を呑んだ、かもしれない。

CDを開けてみる。まずはジャケット。時間の通過に運ばれて来た色褪せ具合が絶妙だ。どこか懐かしく、まるで旧友からの手紙のような雰囲気で、シンプルだが作り手の愛があふれている。フォントの選択も優しく、素晴らしい。

一枚めくる。タイトにシャツを着こなす清志郎だ。ベストがとてもかわいくて、間に見えるペンダントも良い。なかなかレベルが高いシャツ・インも違和感が全くない。はぁ。かっけー…。長めに咥えるタバコが実に生意気!清志郎を挟んで、斜に構える林小和生と破廉ケンチ。背景は森だ、ここは国立だろうか。

あがた森魚清志郎の「愛し合ってるかい?」のMCを聴いて、「あがた! お前、ちゃんと音楽やってんのかよ!?」って聞こえたという話は、とてもいい話だと思う。実はぼくもある時期、清志郎の音楽にその声を聞いたひとりだ。あれは休学が明けた時期だった。大学5年目。金もない、大学の友人も就職して大学には自分ひとり。昼間の生活より夜中、夢を見るほうがずっと楽しくて、「夢なら遠くに行けるし友達にも会える!」なんて本気で思っていた。頭おかしいぜ!起きている時間よりも寝ている時間の方が長くなると、現実は夢に食われると知った。――そんな時だった。「おいおまえ、しっかり生きてんのか!」って言葉を聞いたのだ。それがどの曲だったのか、ぼくはもう覚えていない。しかしその言葉をぼくも聞いた。夢ではない。夢じゃないかもしれない!この写真には、その言葉とおなじようなあたたかさがあるように思う。

ブックレットには清志郎直筆の歌詞ノート(コード付)も織り交ぜながら組まれている。清志郎の字は絵みたいだ。字には才能が宿るのだ。原田和典による全曲解説、興奮すべきは、今回の音源の出所先の1人、そしてRCファンにはおなじみキザクラの青年、太田和彦によるライナーノーツだ!


RCサクセションがきこえる”ようにしなければならない


その通りだ。この言葉、なんでこんなにワクワクするのか!さらにベイビィズの相沢さんからのメールには胸アツにならざるを得ない!

今回のオフィシャルブートレグ発売の経緯は、こちらの名インタビューに詳しい。

http://www.pulpo.jp/mekikiya02_01.html

ぜひ宗像さんのインタビューも!

http://www.pulpo.jp/mekikiya.html

このインタビューはそこらの雑誌のインタビューなんかよりもずっとオリジナルで、まず臨場感が素晴らしく、ニュース性が大きいのが特徴だ。ぼくは確かこのインタビューを読んだ後、問い合わせフォームでファンレターを送った。

さて、やはり思うこと。作り手にたっぷりの敬意をこめてあえて申し上げれば、このオフィシャル・ブートレグ(新形式!)なるライブ音源集はRC初心者向けではない。ヴォーカルと弦楽器の剥離が聴くにはつらい曲もあるとぼくは思うし、人によってはときには清志郎のシャウトがノイズに、アルバムの長さから演奏が冗長に聞こえる日だってあるかもしれない(オーティス・レディングを聴くのがつらい日が誰にだってあるのと同じだ)。だからRhapsody Nakedや完全復活祭などのライブアルバム、ベスト盤だったらEPLPを経てからでも遅くはないはずだ。(ぼくは実は、一番の名盤と名高いBlueだけはいまだあえて聴いていないので、Blueは紹介できない)また、清志郎のヴォーカルだけでいえば、個人的には80年代前後か00年代が好きだ。

しかし!しかしだ。やはりRCの曲は素晴らしい。時の通過で錆びたり褪せたりするほど軟くない。曲の強度というのはきっとこういうことを言うのだ!

「黄色いお月様」、1曲目からドロドロだ。ロマンチックな曲名とは対照的に母親への屈折した思いが語られる。つまり、このCDはもうひとつのシングル・マンだったわけだ。
おそらくまずぼくらの耳を掴むのは「ぼくの情婦」が刻むリズムだろう。ちょっとおかしなコード進行も良い具合の外しになっている。

唯一、長めの(ふざけた!)MCが挟まれる「あそび」。「男はつらいよ」や「タモリ」で描かれる大学教授、もしくはお役人のような口調で紡がれる清志郎の噺。2分35秒頃、もういいだろうとばかりに、リンコさんのウッドベースが待ち切れず始まる。「ぼん・ぼん・ぼん・ぼぼぼぼぼぼぼーん」すごい!名曲だ!歌詞の卑屈さがどこかあたたかい曲調とマッチしている。こんなメロディアスな曲をお蔵にするなんて…。
「楽しい夕」の中でも「忙しすぎたから」と並んで主役を張れる曲なのに!

時代とはいえ、レコ倫のような管理組織で働く人には文化の目を踏みつぶすリスクを十分認識してもらわなければならない。文化を育てるという意味で、この時期のRCの周辺はとことん冬だったことが分かる。

sings soul balladsで響いて以来の「ぼくの家の前の道を今朝も小学生が通います」。現代東京の平成っ子はボーリング場だった土地がユニクロに、ユニクロが駐車場や100均に代わる時代に暮らしている。郷愁を抱く景色が移っても小学生に抱く感情は変わらない。

「わるいディレクター」は聴いたことのないメロディーとコード展開が新鮮。リズムのせいか、不思議と聴きやすい。必死にキャンキャン吠えている歌詞が初期のRCらしい。

「お墓」は個人的にはレゲエ調も好きなのだが、初期の3人で演奏するこのナンバーはまた特別だ。清志郎の展開構成の作詞術が結実した素晴らしい歌詞だと思う。40年前の青年3人が引き裂かれそうな声でシャウトを重ねるコーラスはここにしかない個性だ。

初期のRCの歌詞はことごとくねじれていて、辛辣で、そして優しい。寂しさを埋めるために女性を抱く。鼻もちならない権力持ちにキャンキャン吠える。この時期の歌詞はそんな展開がとても多い。しかしどこかあたたかい。ぼくはこういう歌詞の考え方を正直かっこいいとは思わないが、ぼくの耳がRCに向くのはなぜなのだろう。
反面、演奏は荒々しく、ときに抒情的だ。弦の硬そうなギターをガシガシうねりを掻き鳴らしたかと思えば、ウッドベースの描く自由なラインがとても美しかったり、ギターのメロディーが夢見心地だったりする。

さて、このCD、音質や録音環境に投げかける意味も大きい。というのはこのCDは荒い録音が甲を奏し、当時のRCのふてぶてしく怖いものなしの若さがよく出ているからだ。こういう発表もやり方の一つだと思う。

また、ライブ録音やライブ撮影の是非が一部で叫ばれるいま、この「オフィシャル・ブートレグ」なる語義矛盾のCDが提起する意味は小さくない。はっきり言えば、太田さんの行為は全なる善とは言いがたい。本人も「違法行為」と(笑いながら)認めている。慮れば隣にいた観客はいい気はしなかったかもしれない。ライブはリピートされない一回だからこそ輝くものだと思う。でも、太田さんのおかげで初期の「本当の」RCが陽の目を見ることにもなったのだ。

このブートレグが不幸せにする人。あえて言えば、タイミングがズレてピンと来なかった購入者。思い出の中で成立していた音楽が崩されてしまったかもしれない、当時この伝説に立ち会えた超少数の早耳さんたち。そして蔵入りさせてたこどもたちを勝手に世に出されてしまった初期RCの三人もひょっとするとそんな気持ちもあるかもしれない。

撮影・録音すべきでない!それも一つの重要な答えだ。ぼくも、音楽家やスタッフ、もしくは依頼を受けたプロが担うべきものだと思う。しかし、そこに音楽と音楽家への愛、そして周りの観客への心づかいがあるならば、いいのかもしれないとぼくは思ってしまうかもしれない。(隣でされたらテンション下がるし「金払えよ!音楽家に断われよ!」って思う心の小ささですが)
――世界って遠くの見えない誰かのささやかな力で支えられていてほしい。なんて、不透明で潜在的な願いです。ぼくの甘えた、自分勝手で個人的な願いです。

(W〜さんには、音楽と音楽家たちを愛し直してから、ぜひともライブ現場に戻ってきてほしい。そして、少なくともぼくは彼を迎えようと思う。もちろんあたたかな歓迎はない。ぼくはただ、また一観客としてそこにいるだけだ。彼のむちゃくちゃな企画(そしてなによりふたりの天才音楽家の苦しみ)のおかげで、うつくしきひかりの「セカンドライン(ロングVer)」が生まれたという功績も忘れてはならない)


こんな長文書いた後に書く言葉ではないのですが、まだまだ聴き込みますよ!

この歌の良さがいつかきっと君にも
わかってもらえるさ
いつか そんな日になる
ぼくら何も間違ってない もうすぐなんだ

気の合う友達ってたくさんいるのさ
今は気づかないだけ
街で すれちがっただけで
わかるようになるよ

最後に、失礼承知でRCファンの諸先輩方に物申したい!
RC、RCって言うけどさ、最近のインディーズシーンだってすげーんだぞ!!
ぼくは、RCの伝説に立ち会えなかったけど、それを超えるライブを!
その一心でいま東京の音楽を追いかけています。30〜40年前のあなたがたみたいに。
音楽を聴く理由なんてわかんないけど、あの人たちの音楽を聴かずにいられない。
――そんな気持ち、わかるでしょ?