好きと伝えることの先にあるもの

昨日は会社で異動する課の先輩と後輩と一緒にカラオケに行った。

その先輩はぼくがこの課に配属されてから3年の付き合いで、去年、自分が前の恋人にフラレたときに毎週1〜3回は飲みや食事に連れていってくれる男気のあるやさしい人でした。

業務ストレスなどでパンクしかけて課の雰囲気を悪くしてしまったときには率先して間に入って話を聞いてくれたり雰囲気を柔らかくしてくれる人でしたし、経営層の都合でスケジュールが前倒しになったときなんかは「そろそろ本気出すか」って言ってくれて、ぼくらはその一言でどれだけ救われたか。そんな役割を自分自身が引き継いでいくんだという決意みたいなものがここ数日で生まれてきました。

後輩2人は、じぶんにとってはさいこうの後輩で。そのうちの一人から、ぼくはあることを学んだ気がします。

仕事でストレスを抱えれば、ともすると、機嫌が悪くなったりして、性格や感受性やじぶんの信じていたいことが損なわれてしまうような瞬間がある。
でも、その後輩はいつもまっすぐで、性格力というか、そういう内面は自分自身で守って、育んでいくべきものなんだなと。
そのまっすぐさが通用しない場所なんてぜんぶ嘘なんじゃねえかと。

フジ久の「プロテストはプロテクト インディペンデント それがヒント 自分は自分で守らないと 愛と恋と音楽と友情で」という歌詞が、政治のスタンスではなくて、そういう歌に聞こえ方が変わってきました。

他人と深い関係になることが苦手なシャイなぼくは、フジロッ久の藤原さんの言葉、

「それ(自分の言葉でしゃべること)ができていればだいたいのことはオッケー。いつかほんとうの友人や伴侶に巡りあって、気のいい仲間と世界をサーフできるから」
ニューユタカ #002「食べることは生きること」 | よむ DAYZ.

を信じてみたりしながら、ぼくは先輩と後輩のことが大好きなので、彼らの好きなところを丁寧に、自分の言葉で、できるだけ誠実に、思いの根っこにある気持ち伝えました。
そして昨晩、恋愛関係なく、好きな人に好きだと伝えることの先に待ってるものが、うっすらとわかった気がしました。

自分の思いの根っこを相手に伝える。
すると彼らから自分への思いの根っこが贈られてくるときがたまにあって、自分の思いの根っこと相手の思いの根っこが触れあうような瞬間がごくたまにある。その瞬間は、とても心が震えるような瞬間、いってみりゃそれがニューユタカなんだと。


そういう瞬間のために、生きている。


そのカラオケで3時間飲み食いして、そろそろって会計したら3万越えてて追い出す側のふたりでは金が足りなくて焦ったの、明け方のキャバクラみたいな地獄感があってよかった。