塩納豆


お正月にご近所の友だちと鍋をしたときにもらった、山形土産の塩納豆。



たれの間に少し大きめの大豆、刻んだ昆布、麹が覗く。うまみや発酵の日本代表。変数が変数を構成する、その複雑な関数に対して、科学で解明するのではなく、最大のうまみを舌で探し当てる方角に進路を取った者だけがそのレシピに辿り着ける。この世はでっかい宝島。そうさいまこそアドベンチャー

国産大豆のみ使用! 酒田の塩納豆 : 【山形の地酒専門店 木川屋】

塩納豆の産地である酒田市は、日本列島の背骨、厳しい山々が運ぶ最上川に祝福された穀倉地帯。日の丸弁当が日本の象徴であるように、塩納豆は米そのものに約束された食品なのかもしれない。豊穣の川から供され続ける、枯れることのない無上の慈悲。日本のガンジス。その慈悲への感謝こそ、「いただきます」の源流だ。

長野県信濃町落影農場、斉藤寛紀さんのこしひかり(高いやつ)。新米である。塩納豆を、炊きたてにオン。山に降り注ぐ雨雪のようにのせると、最上川が支流に分かれるがごとく米の大地から豆の進路は分かれていく。今夜はここをたれのデルタ地帯と呼んでみようではないか。

雪の夜道は明るい。米のツヤは今夜の脇役を照らす。お椀の中のミラーボールに照らされる、腐る前の豆。ミラーボールで照らされる観客たちがすっげえいい顔してるように、豆たちもすっげえいい顔をしている。君にも見えるか?

箸で取る。うまそうだ。舌へ乗せる。ふわふわしたやさしいうまみが甘みとともに鼻に抜ける。それを追いかけるように、米のうまみが物語を加速させる。豆は柔く、噛むというより歯がスッと下りると言う方が合っている。昆布は旨味の貢献に専心。この雑多感はお雑煮よりも鍋に近く、まるで片想インダハウス。

ここに茎ワカメや切干し大根を足す夢を見ることに、邪道だなんだの文句を挟むのは不粋な不届き千万である。アドベンチャーの続きを見よう。

山で食うご飯のうまみが空気の純度だとすれば、ビールやお風呂の「あ゛ー」やこぼれる笑顔すらも旨味だとすれば、米の艶と対照する腐る前の豆、そんな物語すらもうまみなのかもしれない。

そうだ。次はあの友だちに、水戸の名物、干した大根と納豆を合えた珠玉の庶民のおかず、しょぼろ納豆を買っていこう。もちろん言わずもがな、こちらも米に約束されたおかず in 茨城県 である。

ご近所さんへのおみやげ。そんなことに、ぼくらの心はどうしようもなく踊ってしまう。この遺伝子こそ、ぼくらをほんとうのよろこびの循環へと連れていく。




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うるせえ!うめえ!ざまあみろ!