おれの雪山【丹沢表尾根(塔ノ岳)に登れ!】

丹沢表尾根の縦走コースを登った。
ぼくは今回で4回目、雪山縦走の楽しさを日帰りで味わえるコースだと思う。


ぼくはそのコースで、初めて「山に負けた」と思った。


コースは神奈川の丹沢にある蓑毛というバス停から出発しヤビツ峠、二ノ塔、三ノ塔を経て尾根(稜線)沿いに進んでいく。
塔ノ岳をゴールに登り、大倉バス停まで一気に下るコースである。

標高310mからスタートし、いくつものピークを越えながらアップダウンを繰り返し、1491mまで登っていく。

登山の難易度は、いくつかの要素によって決まる。

標高(空気が薄く高山病になる)、技術的難関(危険が多く、ハードの整備がないところほど技術や特殊装備が問われる)、移動の全長距離(長い時間歩く)、高低差(アップダウンが大きいほど負荷も大きい)、登坂角度(鈍角であるほど登る負荷も大きい)

また、荷物の重量(小屋がない場所にテントや食料を背負うコースほど負荷も大きい)、登山道の整備状況、測量結果の有無や正規ルートかどうか、

その他、山の位置する緯度や気象状況、季節などによっても変わる。

たとえば標高が高くても、ロープウェイなどで山頂近くまでアプローチできれば、高低差や全長距離が短く、登坂角度も緩やかな山で技術的難関箇所がなければ、難易度は高くなくなる。


今回のコースは、全長距離と高低差から、体力的に初級の上、または中級の入門程度という認識だった。


全長距離18キロ、高低差1100mを超えるコースを日帰り雪山登山の装備、雪山用のブーツ(片方850g)と12本爪のアイゼンという鉄のスパイク(片方530g)を着けて登る。



初めのうちは久しぶりの雪山に興奮気味だ。
地面は雪が積もり、完全に凍ったりしている。枝には雪解けと固体化を繰り返した氷がじゃらじゃらとまとわりついている。枝を動かせばもののけ姫のこだまのような音がする。山の音だ。

氷の重さに耐えきれずか、木々は何本も折れている。
氷は枝から落ちて地面に敷き詰められている。居酒屋の冷凍庫はこんなかんじかもしれない。自然の製氷機だ。


特別な装備を身に付けた者、もしくは一定以上の経験を積んだ者だけが進める道。大げさに言えばそんなところだ。


地面にスパイク(アイゼン)を利かせながら、ズンズングイグイ進んでいく。
ザクザクと氷の地面を耕すような音がする。





それなりに体力が必要なコースであることは承知していた。しかし、雪山装備は想像以上に足への負荷が大きかった。3時間も登っていくとハンガーノック気味になってしまった(身体にエネルギーが不足し運動量や思考能力が低下する。これが進むと動けなくなる)。

当然登っている最中にエナジーバーや飴などは食べ続けていた。
朝飯はおにぎり3個食べたし前日は11時には寝ていたので体調面は万全だった。

しかし雪山の装備は想像以上に足が重い。スパイクの爪も長く、登るのにいつもよりも数㎝足をあげなくてはいけない。
からだのなかでもっとも大きい筋肉のひとつ、股の筋肉にいつも以上にかかる負荷。当然、大きい筋肉を動かすとエネルギー消費が増える。腹が減る。

エナジーバーや残りのおにぎりを食べながら、基本に立ち返り、小さい段差を見つけながら歩数を増やして登るも、ハンガーノックは進むばかりだ。

先頭で進んでいくぼくは軒並みペースが落ちていく。

時間は無情。
日没時間を考えるとエスケープルートで下山を考え出す選択肢がちらちらと頭に浮かぶ。なんてことだ。

しかし、葛藤もある。
自分がこの素人山登り会の発足者であり、自分が今回の山行を企画した手前、同行者に迷惑をかけるわけにいかない。
みんな、山頂で最高の景色を見ながらご飯を食べたい気持ちがあるはずだ。
ただし、同行者を危険な目に遭わせることは絶対に避けなければならない。

そんな逡巡をしているうちに完全に途中で登れなくなった。
思考能力が低下しているので、いつもなら出来る判断もできない。変なプライドは捨てて相談すればよいだけだった。

友達に先頭を変わってもらうも、足がなかなか動かない。もう少し軽い靴でもっと軽いアイゼンで登ったときには問題なかったコースも装備が重くなるだけでこんなに変わるのか。

この時点で、ぼくは塔ノ岳の山頂に行くことを諦めていた。
あとは同行しているふたりにいつ、下山したい、この山から逃げたいと懇願するか。それだけだった。

息切れが激しく、喘ぐ。
くそっ!くそっっ!と小さく声を放ちながら足をあげる。
しかし足は続かない。友達の背中が遠くなる頻度が上がる。

見るに見かねた友達が山頂ではないが昼飯にしよう、と提案をしてくれる。ほんとうに助かった。

お湯を沸かしてインスタントラーメンを食べた。カレーヌードルだ。あったかくて、うまい。

昼飯を食べて、少し回復するも、まだ登りは1時間以上ある。このペースなら1時間半はかかるはずだ。
初めは順調に進むも、30分も登るとまた動けなくなった。

もう股の筋肉の限界を越えている。
2時間程度、股の筋肉だけでも休息しなければもう今日は回復しないだろう。
しかし登りはまだまだ続く。

苦しみは続く。
ストック(杖のようなもの)を出して推進力を得ようと試みるも、効果は薄い。股の筋肉が要求するエネルギーを自分のからだは供給できていない。

初めて敗北感を背負って登る山は苦しい。
ただただ、楽しくない。
下山したい。逃げたい。

苦しい気持ちを背負い、同行者の背中に引っ張られる形で、なんとか進んでいく。残り40分。見覚えのある景色、山頂手前、最後のピーク。
あとは1回下って、1回登るだけだ。

この時点で少し気持ちが変化した。

1年前から登山を始めてもっとも苦しい思いをしているのがいまだ。その気持ちを背負って頂上に着けたときの気持ち、さいこうの景色を見たときの気持ちを知りたかった。
どれだけの達成感なのか。

好奇心だけで登る。
好奇心には足を進めるだけの力がある。

ぼくは同行者にひとつだけお願いした。

最後の登りはおれのことを置いていってくれ。
自分のペースであればなんとか登れるかもしれない。

友達は笑顔で、お茶つくって待ってるよ、と言ってくれた。

なんとか足を進める。
岩場だからスパイクの爪が安定しない。前爪が邪魔だ。
周りはガスっていて周囲20mしかみえないので、目標の山頂が見えない。


辛い、苦しい。
でも、知りたい。ただただ知りたい。


いくつもの岩場を越えたあと、ふと、見覚えのある標識。この景色、山頂だ。

ああ、左側には諦めていた富士山が雲の隙間に覗いている。
友達はお茶を作る約束は忘れ、興奮気味に写真を撮っている。そりゃそうだ。さっきまでのガスが富士山だけ避けるように晴れているのだから。



ぼくは、ふといまの気持ちを考えてみた。




意外なことに、敗北感しかなかった。





時間はすでに14時30分を過ぎている。登頂の目標は13時前であった。
写真を撮って、トイレを借りて、すぐに下山した。いつも数十人が集う山頂にはもう数人しかいない。
日暮れが16時30分とした場合、下山速度が遅ければヘッドライトを使うことになる。


下りであれば股の筋肉は使わない。
しかしいつまたハンガーノックになるかビクビクしながら、日が暮れる前に下れるか不安に感じながら、下山中、ぼくはずっと、先程の山頂での気持ちについて考えていた。


なぜ敗北感だったのか?
ふとひらめいた答えは、今回の登頂は、自分で登ったからではなかったから、だった。

ぼくは途中で登ることを諦めた。
おそらくじぶんひとりなら、エスケープルートで下山していた。
今回は同行者の背中に引っ張られて、そのちからで登ることができた。

そしてなにより、リーダーとして登りながらも、自分が足を引っ張り予定タイムを大幅に遅れらせてしまい、友達の下山リスクを上げてしまったからだった。

それがぼくの敗北感の理由であった。

その気持ちを同行者の友達に打ち明けた。
友達は、登れりゃいいじゃん、と言ってくれた。

確かに、その通りだ。
3人で登っているのだから、3人で助け合って登ればいいのかもしれない。

そして、上げてしまったリスクは下げればいいのだし、ぼくがやるべきことは3人で安全に下ることだけだ。
そんな簡単なことが、身をもってわかった。



もし今後、ぼくの同行者で、つらそうにしている人がいたら、ぼくは迷わず山頂でのご飯は諦めこの場で食べることを提案しよう。山頂ではおやつを分け合えばいいのだ。

そして、その人の荷物を少しだけ持つことを提案する。

そのうえで、山頂に立ったときの気持ちを一緒に考える。

まだ知らないこと、その好奇心には、ぼくらの足を一歩進めるだけの力があるのだ。

そして、同行者の背中には、登山を諦めてしまった者の足をまた一歩進める力がある。


これにこりずにぼくはまた、山に行くし、雪山に行くだろう。


生活するのに心地よい場所とはいえないけれど、生きる喜びを確かめるのには、山はさいこうの場所なのだ。