舌のうえでダンスステップを

金曜日の夜だというのに、会社を出るやいなや、世界の終わりのような感情をむねに帰路についた。

下を向きながら歩く。電車のなかでも自分でも驚くくらい神経質になっている。これはまずいところまで来ている。最近、寝るのは早い一方で浅い夢をたくさん見ているし夜中目を覚ますことが多い。
過度なストレスは、適度にストレッチしたい。

このまま家に帰ると悪い循環に陥る気がしたので、一駅手前で降りた。大きな商店街を抜けて歩く。ほんとうは飲みにでも行きたかったが、たまにはこういうのも大事だろう。

ノー残業デイの定時上がりだったので、いつも閉まっているお店は店じまいの準備をしながらもやっている。
今晩のおかずのカキフライについて話している親子の会話と並走する。

なんとなく塩大福を買った。

食べた。うまい。
塩気を感じるか感じないかくらいの。

さっきまでずっと感じていた終末感は薄れて、すこしだけ前を向けた。

塩大福でこんなに回復できるのだとしたら、白米をたらふく食べたら幸せはっぴーのビッグバンが世界を飲み込み、ついには新世界が幕を開けるような気すらした。

こうなったら今夜はスーパーで予算を無視してたくさん買って帰ろう。

ということで、生タコの切り身(刺身用半額)とサーモンの切り身(刺身用)、土日用に広告掲載商品の豚ロース味噌漬けと子持ちニシンを買って帰る。

帰宅。
冷凍ごはんをレンジにいれ、その間に水ですすいでから刺身に。

数分間この景色を写真に残そうと奮闘するが、カメラの電池がなくてあきらめた。

白米を食う。うまい。
うまい。うまい。うまい。
あっというまにおかわりである。

1月に母親にもらったブランドのお米がおいしすぎたことが忘れられず、生活のなかでお米のおいしさは希望になりうるとすら思った。
米が照らす光。こしひかり。

今日の米は1-2年前からよくみるようになった山形のお米、つや姫

うまい。あのブランドの米ほどではないが、刺身によく合う。

サーモンの脂があまくとける。体温でほどけるようにとけていき、米とともに舌に乗っかる。うまみが口内のドームにひろがる。口壁に当たって弾ける旨味。まるでホールコンサートである。音とともにときに建物が鳴るように、口自体も旨味にすらなっていやしないか。

ぼくらはおいしさだけをたよりに、この世の中を生きていけばいいのかもしれない。
おいしいという本能が、数万年続いてきた人間たちの遺伝子が育んできた生存戦略なのだとしたら、下らない思考より、ずっと信頼に足るのではないか。

生タコの食感、サーモンの旨味。
白とオレンジの対比。


刺身醤油が白米を汚す。
不時着地帯を箸で掬う。碗のなかは再び、一面の白い輝きを取り戻す。

成長期のような勢いでごはんを食べる。食欲が止まらない。からだが季節の変化に追い付こうとしてるのか、それともここ最近は毎週土曜日に登山にいっていたから、からだが明日に備えているのかもしれない。
今週は久しぶりに登山もお休みだ。


今夜は暖かい。
久しぶりに散歩に出掛けた。
HAPPLEの2ndアルバムとザ・なつやすみバンドのTNB!を聴いた。

HAPPLEはもっと話題になっておかしくないし、このアルバムは僕にとって大事なアルバムである。

TNB!は初めて聞いてから、もうそろそろ4年が経つ。
飽きるどころか、いま聴いてもめちゃくちゃ感動する。

悲しみはやお誕生日会のラストは、言葉では尽くせない。
感動の質が薄くない。
4時間前の感情がまったくうそみたいに、生きている喜び、みたいな感情が溢れていく。

からだがあつくなった。

ファイブミニを飲んで、ベッドに入った。