フジロッ久(仮)「CRYまっくすド平日発売記念インストア アコースティックミニライブ」渋谷HMVインストアライブ20160603

フジロッ久(仮)からベースのろっきーさんが脱退した。多いときには6-7人いたのに、いまや3人のフジ久だ。しかし一昨年頃からのぜんぶやり尽くそうっていうフジ久の勢いを考えれば、ぼくはなんとなく、こうなることがわかっていた。もっといえば、今年、彼らは解散してしまうとさえ感じていた。DVD2枚、シングル2枚、ライブ盤2枚、そしてさいこうのアルバムを1枚。とんでもない勢いだ。ライブの勢いも、慎重に言ってもまさに全盛期。正直、大好きなあのceroよりもすげえとおもってた。フジ久のライブ中は怖いものなんてなかった。活動の盛上がりの裏側で、こういうネガティブな想像を膨らませていたセンシティブなファンは、ぼくだけではなかったのではないか。それだけにDVD3枚目のニュースはめちゃくちゃ嬉しくて、ぼくが考えてるよりも10歩くらい先にいた気がしていた。

そんなことを考えながら、もう眠気が覚めたベッドの上で、フジ久関連のツイート、そしてろっきーさんのコメントを読む。AM 6:47。本当に限界まで、限界を越えてやりきったことが伺える文章で、ろっきーさんはフジ久という乗り物を降りずにいられない事情があったのだと気づく。その選択に、ぼくたちは沈黙と拍手しかできない。ぜんぶ自分次第とか、水を注ぐその手は誰のだろうとか、そういう素敵な言葉たちは、けっして暴力の代わりにつかってはいけない。あたりまえのことだ。

脱退ライブをやらないという選択も含めて、男気があって、ほんとうにかっこいい。この人はあの全身ピンクタイツマンとおんなじ人であるところもまた好きなところのひとつだ。ひとつだけ言えることは、ろっきーさんのベースがフジ久の11年半をつないできて、ぼくは幸運にも最後の数年間に結ばれたってことだ。お疲れさまでした!さいこうの音楽をありがとうございました!

オリジナルメンバーが降りたとしても、フジ久は続いていく。そういう選択を他のメンバーは採った。3人でどうやるんだよっていう不安と、ろっきーさんのいないフジ久はフジ久なのかって思いと、フジ久ならって期待と、いま残されたメンバーが何を語るのかって気持ちと、フジ久コンプレックスを抱えて、ぼくはインストアに向かうことにした。

お店に着いたのは19:58。超ライブのときよりもたくさん人がいた気がした。3人が入場する。彼らも客もお互い緊張しているなかで始まったのが、CRYまっくすド平日。ぼくはこの曲を聞きながら、フジ久特有のにぎやかさと豊かさは薄れたとしても「ああ、フジ久は大丈夫だ」って思えた。ろっきーさんはいない。あゆ子さんのピアノもない。シマダボーイのパーカスもない。不在の大きさは、だれにも埋めようもない。不在はぼくらの記憶の音に呼び出される。かつてあった存在はいまとなってはHMV渋谷のフロアにまるで透明に塗りつぶされている。いない。いない。いない。どうしようもなく、いない。

しかし!ぼくの耳には藤原さんの声が響く。元希さんの言葉が届く。下地に所さんのリズムが刻まれる。有るものは疑いようもなく、目の前にある。そしてこのあとぼくは、人生で初めて、ギターという楽器の豊かさについて思い知ることになる。

続いていくのがおかしなふたり。雨あがりの夜空にのギターが組まれてることに初めて気づく。音のサイズ感が小さく感じる瞬間は、もう抗いようもなくあって、でもそれはけっしてヤな感じではなく、いまの彼らのサイズに合わせた楽曲に組み直されたような印象。ボーカルを取りながらギターを弾く。それを踏まえて組み直されたリズム。声でつなぐ音。しかしあのサイズから始めた音が膨らんでいく瞬間も確かにあったのが昨日だ。

MCで「フジ久はいろんな人と組んでやるバンド」ってメンバーの流動も肯定してくれて超イエス。ファンも含めた交わりがフジ久だ。そのあとにまさかのメンバーも今日初めて聞くっていう新曲の「集まれ(だったかな?)」がすごくすごく良かった。フジ久は歌詞もライブで育てていくからこれから全然変わると思うけど、歌詞が散文に寄ってる感じで、いままでの藤原さんの歌詞とすこしちがう感じ。最近考えてることと重なったからか、めっちゃよかったです。

「お客さんに参加してもらって隙間を埋める」までは凡人オリンピック金メダリストでも思いつくと思うんだけど、フジ久というグループの本質を説明して流動性を肯定する概念を与えてくれた上で「参加したい人は参加しよう。したくなければ聞いててくれればそれでいいよ」って自由を認めてくれるのは、やっぱり藤原さんだなと思いました。はたらくおっさんのシンセ音がみんなの口から紡がれていくのは、かなり痛快だった。ときに真の凡人は凡人オリンピックの金メダリストと初戦敗退者、どちらだとおもいますか。ぼくはこれを凡人偏差値のパラドックスと呼んでいます。凡人なんて考え方は矛盾のある思考なのかもしれない。矛盾のあることはまちがいではないのだけれど。

人生で2度目のサイン会。いつも恥ずかしくてこういうの参加しないんだけど、今日は伝えたいことがあって参加した。参加したけどいざ大好きな人の前に立つと舞い上がってしまってなにもできない。だらしなくてなさけないぼくは彼らのファンなのだ。

彼らは「3人でライブをしていくつもりはなく、すでにいろんなライブに誘われている」とのこと。きっと、それほど遅くはならないうちに、新しいフジ久にお目にかかれるのだと思う。

しかし問いたい。いったい、全盛期なんて誰が決めた?水を注ぐその手は誰のだろう?
いやそんな言葉以上に、おれたちの決勝はまだまだ先ってだけだ。あまりに大きな待ち合わせ中。おんなじ遠くで待ち合わせ中。物語は to be continued。完全復活祭をしばし待たれい!

帰り道、一駅手前で降りて、商店街を抜けていく。うなぎ屋の旗が揺れている。自動販売機は素早く点滅。オリジン弁当の看板は電球がひとつ切れていた。草の茂った線路を渡る。いい気分なのでコンビニでビールを買った。プルタブを引く。真っ黒い穴からは白い泡がじゅわわわと吹き出てくる。口を寄せて喉を鳴らす。ふは。そろそろ夏だな。まったく、まるで夢見がちな堅気だ。いつまでたっても。夢がフォルスからトゥルーに変わるときを夢見ている。