友人

大学時代の友人の結婚式に参加するために、岩手県浄土ヶ浜へ。

格式高さのなかに愛らしさがあふれていて、とても良い披露宴だった。プログラムが進むにつれて、友だちが友だちのためを想うこと、誰かが誰かのためを想うことの大きさに、なんだか感動すると同時に、なんだかこの場にいる人たちのことを羨ましく思った。

結婚というステータスへの疎外感ではなく、どちらかというと、じぶんとおんなじだと思っていた友だちが、いつのまにかこんなにも誰かのことを想うことができることへの焦りのようなものに近かった。誰かを想うことは人の器に例えられるのだろうか。結婚式には少なからず誰かの器があらわれる瞬間があるのかもしれない。
 
思えば自分は、自分にとって最も身近で大切な友人が、どんな人間なのか、果たして本当に理解しているだろうか。考えたことはあっただろうか。もし彼らを祝福したり、また彼らが希望をあきらめかけたときに、ぼくはどんな言葉をかけるのだろうか。ぼくは友人たちをどう祝福し、どう労るのだろうか。

ぼくにとって大切な友人たちがどんな人か。それを考え、文字にすることを今週の目標としよう。

土日は岩手に行っていたので朝の運動は休憩。月曜日、朝から雨が降っており、早速三日坊主の狼煙が空に昇っていったものの残業後に運動をした。土日の疲れが消えていなかったが、養命酒をショットでキめてから運動するとめちゃくちゃハイになることができる。まさに超法ドラッグ。超法規的措置

運動を続ける唯一のコツは筋肉痛を残さない程度に留める勇気と能力である。まだ5日目。