運動バカへの道

パスモを落としてしまった。交番にも地下鉄にも問い合わせたものの、結局まだ届いていないようだ。残念ながら再発行せざるを得ないだろう。

そうめんを茹でるためにお湯を沸かしていたつもりが空焚きしてしまった。雪平鍋をキンキンに焦がした。鍋を買い換えるタイミングがわからない。

生活を整えるように暮らしを見直してはや半年が経過した。自分が豊かになるもの、健康、心理的充足、食事、清潔さ、友だちが喜ぶもの、そういうことにお金をかけるようにした。

半年程度だが、ささいなことが積み重なって、いろんな方向に派生していく様子を感じることが増えた。もちろん至らないこと、ままならない自分は数えあげればキリがない。

方針を決めて、ひとつだけでも行動に移すと良いサイクルが回り始めるらしい。すべてが続くとは限らずとも残っていく習慣がある。

最近は運動を始めた。中高生のように限界を求めるやり方ではなく、とにかく続けることを重視している。実測しているわけではないがおそらく1kmも走らない日すらある。だとしても続けることが大事だ。汗をじわっとかくことが達成基準なので、代謝が良い自分にとっては容易いことだ。そのあとの距離は自由なルールだけれど筋肉痛を残さないこともテーマのひとつなので、まだまだ行けるぜと思ってもその欲求を抑えることもある。そういうことが続けるコツのひつなのかもしれない。まだ始めて2週間のやつが放つ台詞ではないな、3ヶ月早い。

車の多い道路ではなく、家から徒歩5分の大きな公園で運動している。コースの景色は変わらないが22時を過ぎても同士が多く、緑や生き物が多いので少しばかり清々しい気持ちになる。昨日はガマガエルが道にいたので危うく踏んでしまいそうになった。おばあちゃんが2メートル手前で急に地面を指さしたのででかいうんこかと思った。でかいカエルであった。うんこかと思った。うんこかと。公園なので花の香りが漂っていることも嬉しい。白い花は木蓮だろうか。晴れた日にはメニューを変えてサイクリングしたりもする。サイクリングも気持ちが良い。

あくまでも感覚値の話ではあるが、どうやら慢性的な疲れは運動不足がその一因で、そのときの自分に見合った適度な運動によって軽減されるらしい。疲労を残さない程度の運動は疲労物質を排出してくれるのかもしれない。運動が好きでよかった。

運動を始めた理由はいくつもある。疲れやすくなったからだを改めることも理由のひとつだし、元来姿勢が悪いので姿勢を保つ程度の背筋を身に付けることもその一つ。後付けだけれど上級の山登りに耐えるだけの体力をつけることも理由のひとつだ。ぼくの登山人生の最終的な目標のひとつが、冬季入山規制中の富士山登頂&下山なので、手足の指を含めたからだを失うことなく生きて帰るための体力を身に付けたい。テクニック以前の体力をつけなくてはいけない。

自分の脚で登った雪山ほどきれいな景色はない。人生で一番心が震えた景色は、2年前に登った冬の雪山だ。青と白の2色に純度が上がっていき、苦しい脚をなんとかもちあげながら最後にぼくらを出迎える景色を想像してもらいたい。あんな気持ちをもう一度味わいたい。

運動バカになる道は、思っているより結構険しそうだ。