ザ・なつやすみバンド「PHANTASIA」について

ザ・なつやすみバンドが3rdアルバム「PHANTASIA」を発売した。

これぞ、なつやすみバンド!というアルバムが到着した。
まずはぜひ、CDショップで手にとってもらいたい。惣田紗希先生による素晴らしいアートワーク!モノとしての完成度を相乗していることが確認できるだろう。画面では伝わりきらない所有欲の高まりに押されて、いや理由などよくわからないままに、あなたの指は再生ボタンを押す。そしてボリュームを時計回りに回す。久しぶりの旅が幕を開ける。旅のどこかで偶然がぼくらにぶつかってくる。予定とちがうハプニングにあなたは少し困惑するかもしれない。しかしその外れた寄り道こそが旅をあなたのものにしてくれる。そして旅は終わり、あなたはあなたの大切な人に話をするのだ。これから聴くアルバムは、そんなアルバムである。

アルバムと同名の「ファンタジア」からこのアルバムは始まる。冒頭のビッグバンが拡散するようなドラムが押し広げた盤上に、上下に動くベースが縦軸を与える。その空間にsirafu節の炸裂した物語がのっかる。脳内に膨張した座標に、弦楽と鍵盤の流れのままに始まるのは、どこか内に向いた語り口で紡がれる物語、このアンチテーゼは歌詞に不思議な余白を与えてはいないか。幕開けの舞台はファンタジアとの再会。冒頭から既に名曲の装いが隠されていない。

潤さんの動くベースは全編で存在感を発揮している。聞き進めるうちに歌を含めたすべての楽器が心地よく配置されているのに気づく。中川さんの歌の表情には理由すら感じる。それを支援する録音とミックスの素晴らしさは星野誠氏による仕事らしい(一部sirafuさん)。メンバーもラジオで言う通り、このバンドはメジャー感がなぜかなく(実際は親近感が上回っているのだが)、しかし、今回ぼくがメジャーの底力を一番感じたのがこの部分だった。少し調べてみると、手練のエンジニアであることがわかる。以前はクラムボンやスペアザのエンジニアを担当していたらしい。超納得。


Volta Studio Recording
INTERVIEW(2)――耳が疲れない音 - TOWER RECORDS ONLINE
http://www.fides.dti.ne.jp/~atsutake/88.htm

(2つ目のサイトで「耳が疲れない音」って表現されていて、個人的に1枚目のTNB!もそんな感じで、曲によって音の印象はぜんぜん違うのにずっと聞いていられる音だったなと。今作もほんとに1日ずっと聴いている。)

なんで星野氏が出てきたのかを想像すると浮かんでくるのが、今回MANAGERとして最終段に名を連ねる豊岡歩氏の存在だ。クラムボンのマネジメントをしてる方(所属事務所TROPICALの社長)だから、そういうつながりかもしれない。そう考えると今度は原田郁子の存在があるのかもしれないし、裏方にいろんな人の支えが見える。

音楽の話に戻そう。今作にはなつやすみバンドの外側からの提案を感じるアイデアが、ぼくなんかでも簡単に想像してしまうくらいには詰まっているのに、違和感や背伸びがひとつもなく仕上げられている。

迎え入れた客演も今作の魅力を押し上げている。それらが最大化する曲が、嫁入りランドと池田若菜によるフルートの魅力が十分に吹き込まれた「GRAND MASTER MEMORIES」かもしれない。sirafu節が随所に挟まれる乙女な歌詞たちは、いつだって意味を聴き手に委ねてくれる。切ないほどの懐の深さだ。関口将史と田島華乃の名コンビが流す弦楽の貢献度なんて、もはや当たり前に素晴らしく響いている。あまりに贅沢すぎる慣れではないか。この曲で新鮮に響くエレキギターを思えば、なつやすみバンドの個性はギターレスなんてところにはありはしないのである。

なつやすみバンドらしい個性、それは外しのユニークさだとおもう。そんな外しのアイデアをもっとも体現しているのは2曲目「Odyssey」ではないか。聞き手の退屈な期待を軽やかに縫っていく外しの進行。それは、少しおかしなくすぐったさがあるのに、いつか馴染んでしまうような手触りだ。予想外のタイミングで潜り、聴き手の見えていなかったオルタナの道を進む彼らは、ポップスの海を進む潜水艦。暗い海中を地図とコンパスを頼りに我が道を進み、海底にうごめく生き物に光をあてながら浮上する。広い空のもと再び聴き手に合流する瞬間、その進行こそがポップスそのものであったことに聴き手は気づかされる。そうなってしまえばぼくらはもう、そのユニークさに魅了されているのである。彼らの外しは、旅の偶然に似ている、と言えるかもしれない。

それからこのPVだ。なつやすみバンドの上記の個性が、まだなつやすみバンドを知らない聴き手にまで確実に届くようなつくり。不勉強なもので、作者のことを恥ずかしながらよく知らないんだけど、この動画は本当に名作だと思う。

そしてやはり改めて書かずにいられないのは「ハレルヤ」という楽曲のすばらしさだ。ぼくがこの曲を初めて聞いたのは2015年のパラードツアー@渋谷duoだった。(あのとき会場に届けられたファン一同による花はさいこうにグッと来ましたね...)
あのライブがぼくにとって何十回と見てきたなつやすみバンドのベストライブだ。レコ発とか記念ライブだからではない。ただただ素晴らしいアクトだったからだ。そこで新曲として演奏されたハレルヤ。「なつやすみバンドを体現したような曲だ」と思った。希望と祝祭溢れる管楽器とピアノ。日常のどうしてもイヤになってしまうことを「日々は旅だ 君に話すためのこと」なんて日常の他愛ないやり取りに託す視点のやさしさ。きっとたくさんのみんなが救われていくんだろう。アルバムの最後、「うつ向き、見上げる」という視線の運動に託す希望は情景描写だけで胸を熱くさせる。ぜひ歌詞カードではなく(もちろん歌詞検索サイトなんかでもなく)自分の耳で確かめてほしい。

ぼくはもういいおとなだから、じぶんのハンドルをじぶんで握って生活している。週に5日は9時から17時過ぎまで働くし、社会保険料所得税も住民税もバカみたいに払っている。残業もするし自炊も家事もする。自分が選んだサラリーマンというフィールドで、全力を傾けたりする。それこそちょっとあきらめることもあるけど。しかし情けないことにぼくは、たぶんどこかで、なつやすみバンドにじぶんの空想や報われない思いを託していたりする。そして今回バンドは、その役割を引き受けてくれているような印象がある。ぼくにとっての彼らは、子どもにとっての押し入れみたいな存在だ。ひとりで閉じこもることも空想を膨らませることもできるし、なにかをしまっておくことも、光や交わりを求めて外に出ることもできる。

空想は虚構だ。けれど、ぼくらの人生はそういったつくりもののおかげで成立している。人生を支える空想というものが確かにあるし、彼らの作品は確かに、ぼくの生活に光を与えてきた。誠意を込めた空想は現実以上のリアルに反転するアクロバットが起こったりする。誰かの胸を衝いたりする。



アルバムが止む。コップ半分の牛乳を飲んで、ベッド横の窓をあける。二羽の鳥が、交わるように空を飛んでいった。見えなくなるまで、目で追いかけた。