8月のなつやすみ二日間の記録

木曜日と金曜日、夏休みをもらった。
木曜日、築地にでも行くつもりが起きたらすでに7時。仕方がないのですこしゆっくりしてから池袋や目白あたりをぶらぶらした。あまりに晴れすぎている。ジューシーなとんかつを食べたかったんだけど、時間が早すぎたので、久しぶりに池袋西武の回し寿司活へ。20分くらい並ぶ。そのあと、あまりに暑くシャワーを浴びに帰宅。なんとなくわざわざ2-30分チャリ走らせて東大まで読書しに行く。人が多いと思ったらどうやらオープンキャンパスの模様。若さ半端ない。

東大に来るのは久しぶりだ。本当は慣れ親しんだじぶんの大学で、学生の時みたいに木漏れ日のなか、ベンチに寝そべって読書でもしたいところだが、少し遠いので東大にした。

とりあえず弥生キャンパスをぶらぶらする。ぼくは元々東大を目指していたので、10年前には彼らとおんなじようにオープンキャンパスに来ていた。高2の時には田口ランディの本をもって、今日とおんなじように読書しにきたことがある。読書のためだけに来るのは久しぶりだ。てなもんでだいたい地理は頭に入っているので適当にぶらぶらして、生協でジュースを買う。お酒も売っていた。三四郎池を一周して、岩に腰掛けた。セミが鳴くなか読書を始めた。

近所の子どもたちは性別も年齢もバラバラだけれど6人でいきものを採っている。おたまじゃくしのことをウーパールーパーと呼んでいて、ギャクセンが高い。高校生たちは、母親と来ていたり、友だちと来ていたり様々だ。高校として先生が引率しているグループもあった。鯉が息継ぎをすると水面に紋が及んだ。

2時間ほど、ゆっくりと読書をした。岩には小指ほどのイモリ。尻尾の青さが毒々しくてかっこよかった。うーん充実感がちがう。周りに人がいなくなってきたので門を出た。

帰り道、東大の近くに支那そば丸高というお店があった。小腹がすいて500円だったので入ってみた。大将は腰が低くて、若いお客さん嬉しい!みたいな人だった。まだ16時過ぎなのに近所の年寄りが酒飲んでる。「とりあえずこいつで始めてくだせえ。いま見繕います。」なんて言葉とともに、メニューにはない鰯の煮付けやらアンキモやらまあ出てくるわ。良いお店だなと思っていると、年寄りのひとりが「支那そばだなんて名前つけてると中国人からクレーム来ちゃうでしょ」なーんて知った口を利き始めた。ぼくもムッとしたんだけど大将が冷静に「そんなことないよ。言葉は使い方と文脈で決まるんだ。そんなこと言う人は教養がない人だよ」なんて返しててアツかった。すぐさま年寄りは「一本とられた」みたいに返していたが大将は「いやいやそういう意味ではなくて」とフォロー。こんなふうな大人になりたい。ぼくは恥ずかしいことにまだまだトゲもプライドもとれていない。

少しずつ増える常連さん。みんな支那そばは頼まずに好きなお酒を頼んでいる。うちは居酒屋じゃないんだ!なんて言葉とは裏腹に、さいこうの笑顔でアンキモ出してる大将がさいこうでした。

肝心のラーメン。ぼくにとってあの細麺はちょっとゆですぎだったけどスープは魚介と生姜、隠し味がたぶんコンソメ。おいしかったな。テーブルの上にはこれでもかというくらいのチャーシューが生姜の香りを漂わせていた。スープを飲み干した。

汗だくでお財布を取り出す。ぼくの目の前にお金の箱がむき出しで置いてある。「ここにお金を挟んで、ここから500円勝手に持ってってね。」なんてやりとりは温故知新である。満足のなか、帰宅し木曜日を終えた。

金曜日。朝からゆっくり。お昼前ごろ、洗濯を済ませる。靴を洗って磨いた。そのあと、家を出た。特に予定はない。家の前のかき氷を食べた。迷ったあげくに生イチゴ。食べ終わり、なんとなく、とりあえず西へ向かった。武蔵小山で初めて下車。今日はどうやらお祭りらしく、商店街には人がたくさん。

ブラブラ歩いていると、寅圭という酒場を見つける。外観からしてもう間違いがない。外のメニューを手に取り確信。いざ中へ。別におれは今日、お酒を飲むつもりはさらさらなかったのだが。店員さんは全員若く、店長もたぶん30くらいだった。若い女性の店員さんがキャハキャハ笑っていてかわいくてとてもよかった。後ろで鳴っていた音楽もクラムボンから清志郎につないでてアツかった。しかも清志郎はスカイパイロットとかそんな感じだった。さいこうだ。

生レモンサワー、チューハイ、もつ煮込み、梅きゅう、鶏ハツ刺し、トマトの肉巻き、上タン塩、ポテサラ。これで2050円。半端ねえ。ほんとはここに厚切りハムカツを頼むつもりが品切で頼めず。もつ煮込みはゆず胡椒梅きゅうはゴマと紫蘇、刺しは少しだけ湯通し、肉巻きのジューシーさ、タン塩の旨味、そしてポテサラの食感。ぜんぶよかった。

満足のなか散歩をしていると五反田へ。いろんな思い出のある街だ。思い出はもうしょうか(消化、消火、昇華)できたとおもう。あの人がいたから、いまぼくはここにいて、いろんな人と出会ったのだとまで思えるようになった。寂しさはきっと光になるよ。目黒まで歩き、帰宅した。