かつての旅はいまの希望

生活のモチベーションが地に堕ちていたので、キッチン掃除とトイレ掃除と床掃除をやって自尊心を高めた。

エレベーターで一緒になったいつも明るい女性の先輩が、フロアに着いてドアが開くまでの間に深いため息して「...やだため息なんてしちゃった!」って笑ってたんだけど、なんかすげえずるかわいくてちょう癒された。すべての女性は二人きりのエレベーターで深いため息する茶番を試してもらいたいところだ。

ぼくの会社用のバッグにはまちおかで買った20円のみつあんずが8個も入っていることをこの駅にいる誰も知らないし興味もないことはなんてじゆうで楽しいことなんだろう。いつだっておかしいほどだれもがだれかの存在を目の端に捉えながらも興味がない。都会の心地よさに安住してはいけない。

昼休みに他部署の部長から登山用のザックを買い替えたいと思ってると持ちかけられ、なるべく嬉々として話さないように心がけながらトイレで歯を磨いていたら、言いたいことの3割も話さないうちにあっという間に昼休みが終わったのでぼくは登山が大好きなんだなと思いました。

先輩がお昼もとらずに仕事をしていたので地下のお菓子コーナーでチョコバーを買って差し入れた。ぼくはもうお昼を取っていたため、代わりにやるので休んでいいですよ、と言うものの丁重に断られた。食事よりも大事な仕事なんてあるのだろうか。当然に、あるのだろうな。仕事というより信頼や責任感、そして誠実さなのだと思う。

夜に東大を徘徊したらキャンパスでだれも飲み会やってなくて少し寂しい気持ちになった。夏に地べたでキャン飲みしないでなにが最高学府。教養学部駒場キャンパスではどうか飲み会しまくっててほしい。

武蔵関のともだち夫婦の家に泊まらせてもらいにいった。奥さんとはほとんどはじめましてだったけど、トランプしたりウノしたりしてめちゃくちゃ楽しかった。久しぶりに3時過ぎまではしゃぎまくっていた。みんな眠そうだったので寝た。布団はなかったのでシュラフマットを持参して眠った。ダウンシュラフなんて持っていかなくてほんとうによかった。夫婦喧嘩の間に挟まれて仲がいいなと思った。結婚がしたいというより、長く一緒にいられる人がいてほしいと思った。

高田馬場で降り、戸山公園を散歩した。高田馬場の安土というつけ蕎麦屋にてトマトベースのつけ蕎麦を食べた。こういう蕎麦もあるのか、と楽しい気持ちになった。トマトに紫蘇は合うな。

そのまま高田馬場を歩いていると退職した後輩からLINEが来た。

「今日、夢で出てきて、でも元気がなさそうだったのでLINEしました。ご飯でもどうですか?」

一瞬好きになりかけた。美人でこんなに良い娘で、彼女は幸せにならないと閻魔帳の帳尻も収支が合わないではないか。かつての後輩の夢にまで心配をかけてしまっているのかと考えると少し面白くなってしまった。最近会う人会う人に「元気がないね」と言われる。低速運動。モチベーションが上がらないこの暗がりはどう抜ければ良いのだったか。かつての記憶を参照してみるも、家事をこなして自尊心を高める誤魔化し方しか知らない。いろんな人とご飯を食べて、元気を分けてもらうしかないのか。矢野顕子は「元気は分けてもらうもんじゃなくて自分の内から沸き上がるもんだ」と言った。鼓舞してみるもモチベーションのことを考えているといつもさいごはなんだかどうでもいい気持ちにもなっていく。かつて憧れたカッコいい言葉はときにこれほど残酷なのか。しかしかつて憧れた言葉をそう簡単に捨てたくもならない。暗がりを抜ける灯りがほしい。ランタンでもヘッデンでもマッチでもいいから。いまのぼくにとって、それは音楽ではない気がしている。どんなに想像をしても抜け道が見当たらない。であれば、焦っても仕方ないのでゆっくりと変えていければいい。

最近、旅をしたい欲求が再び沸き起こってきた。想像を飛び越えるような旅を思えば、ぼくのスランプもまたかるーく飛び越えられる気がする。かつての旅はいまの希望だ。