なつやすみバンドのライブ@蚤の市とこの世界の片隅に 

日曜日、ここ3週間くらい家事は隙間の時間にすこしずつやっていたつもりだったがやはり最低限よりすこし少ないくらいのことしかできていなかったらしい。午前中はとことん家事に務めた。洗濯、部屋掃除にトイレ掃除、それから出しっぱなしにしていた扇風機を片付けた。革靴を久しぶりに丁寧に磨く。土曜日に雨のなか歩いてしまった靴が少し痛んでいたので念入りにやった。

少ししてから数年ぶりに蚤の市へ向かった。京王多摩川駅の会場に着くととんでもない人がいて、急ぎ足で向かうも案の定ライブには遅刻した。そのうちに遠くからザ・なつやすみバンドの中川さんの歌、せかいの車窓からがまっすぐと心地よく響いてきた。こんな良いバンドを知っているのだから、周りにいるお客さんにほらほらと自慢したくなってしまう気持ちを歩みに変える。ひらひらひらひらしゃなりしゃなり。隣のお姉さんの香水がふわっと香った。360度お客さんに囲まれた状態のライブ。秋晴れの天気とも相まって、良いライブになりそうな予感がしてきた。演奏するのはツアーで少しずつ育てた曲たちだ。とくにSSWのアレンジはさいこうにグッと来るもので、ダンスミュージックとして振り切りながらどこか欠落したようなあの曲が完成に近づいたような気がした。コーラスがさらにすごい。ほら、こんなにも良いバンドだ。たくさん拍手した。

しばし会場を見て歩く。良いなと思った家具は総じて売切れていた。数年前に回った古書スペースへ行くも欲しいものはなかった。2周してみたが、今回は縁がなかった。戻るとbonobosの蔡さんのライブ。リハから観た。彼は歌がうまい。あなたは太陽という歌が良かった。蚤の市を出て、変わらない街を歩く。街の肉屋へ。コロッケやメンチカツは売り切れていたので隣のラーメン屋でコーローメンなるラーメンを食べた。

池袋に移動し「この世界の片隅に」を一番前の席で観た。画面の端から端まで首を動かし食い入るように。実に素晴らしかった。中盤からは刺さった鋭利が抜けず、ときどき笑いながらもずっと泣いていた。想像以上の圧で迫る音響効果と精緻な描写が観客をリアリティに導いていく。戦時中の暮らしを追想するという高さを観客はやすやすと飛び越え「この世界」にエンターを決め込む。そして物語に出てくる人間たちの営みに通底する生きる態度そのものに、心を打たれていく。

この物語は、ぼくらひとりひとりの物語なのだ。暮らしのなかで歪む(いがむ)ベクトルに少しでも抗おうとする態度。のんびりという性格を、絵を描くという営みを、生きるという営みを歪ませる類いの、冷たくて硬いなにか。爆撃、火薬の匂い。意地悪。孤立し自尊心を傷つけるなにか。すずの個性をスポイルするなにか。差別や偏見、暴力や猜疑心にまみれていく世界。自由を縛っていくやり方。小さくてやわらかくてあったかいものをあっという間に奪っていく方向。それでも、抗い、笑って生活しようとする「この世界」で生きる人のそんな態度に、あの震災を経たぼくたちはどうやったって共感してしまう。暮らしが大きな力によって壊される、あんなふうな喪失の後には。

自分の言葉で話すために、すこし自分の話に引き寄せたい。ぼくは22歳の頃、大学を休学して水俣や長崎で暮らした。21歳の頃に水俣で出会った緒方正人という漁師に影響を受けた。彼は被害者として加害企業と闘争を続けたのち「自らも加害者だった」と言葉を残し、一転、水俣という街に新たな道を模索する。彼に出会い、話を聞き、公害や戦争の歴史を持つ街に暮らす人がそこでどうやり直したかを学びたいと思った。2009-2010年のころだ。その日々のなかでぼくは、ぼくがやりたいことは、東京に戻って暮らしをし続けることだと思った。

この映画の素晴らしさとは仕事がうまくいかないときに家事に救われる、あの瞬間のことなのだ。長崎でも広島でも呉でも水俣でも生まれていないぼくだ。806も809も815も501の記号の内実も、そこからこぼれた物語も知らない。東京生まれ東京育ち、戦争も公害も経済成長も知らないぼくにできることは、教訓を学ぶことではない。いまを生きるぼくにできることを実践することだ。

水俣でも長崎でもそうなのだけれど、公害でも戦争でも、被害者が罪悪感を抱えてしまう理不尽な構図は、不必要に人を苦しめる。その街の空気に、否定がはびこる。そんな歴史のなかでは必ずと言って良いほど、土着の思想が生まれる。水俣の緒方正人、長崎の永井隆。「この世界」の北條すず。暴力や正義、辛辣さで街は壊される。人の心や人の関係も根深く傷めつけられていく。そんな傷を癒すものはなにか。肯定だ。肯定には不思議なパワーがある。絶望がいつか産み落とすその希望を思えば、その絶望にも光が射し込むこともあるだろう。たくさんある文脈のひとつくらいには。

水曜日、勤労感謝の日に、2回目を観た。東武練馬のイオンシネマ板橋で、案の定泣き乱した。ハンカチを忘れてしまったので耳や服の中にまで涙が流れていった。上映中みんな夢中で汗をかいてしまったのだろう、いろんな人から香水やシャンプーの香りが漂っていた。営みの映画をこころゆくまで浴びた後、言葉がしんと消えた雪夜の心で、さて帰るかとエスカレーターを降りた。1階にはイオンスーパーがある。家族連れが今日の晩ごはんについて話し合ってるその光景があまりにさいこうすぎて店内で超泣いてしまった。彼らは鍋。こっちは特売のステーキ。あっちは刺身。お母さんと手をつないで歩く子ども、弟をのっけたカートを押してあげるお姉ちゃん。こんな暮らしがYesじゃなければ他に何にYesすればよいのだろう。納豆佃煮宵の口、漬け物練り物ゆずの風呂、お寿司にケーキにアイスクリーム。打ち棄てられやすいやさしさは、ぼくらの手で守らなければならない。

ぼくらは幸せに生きるために、可能性を増やす。たくさん勉強をするし、お金を稼ぐし、物を買う。車を買い、調理器具を増やし、おしゃれや化粧をし、服や靴をいくつも買う。しかし、可能性を増やすもっとも有効な手段は、生き延びることだ。生き延びないと。みんなが笑って暮らせるまでは。

8月のあの日、普通にあるはずだった盆踊りみたいに暮らしていれば。いつか普通の暮らしがここちよくなって、ときどき普通に飽きたりしながら、それでも続けていけば。つながっていくものも、新たに生まれるものだって、あるのかもしれない。