音楽と暮らし2016

「音楽と暮らし2016」というイベントに行きたくて、静岡まで行ってきました。

青春18切符で、帝国書院の中学校社会科地図を片手にがたんごとん揺り揺られ。ドアtoドアで4時間。移動に時間が掛かるということは景色をゆっくり楽しめるということだ。河を渡るときの水面、かき氷みたいなFUJIYAMA、海を望む山あいの線路、こういう景色は一日を特別なものにしてくれる。いろんなことに刺激されるのは楽しい。

本当はギリギリで間に合うはずだったんだけど、降りるべきバス停を逃して結構遠くの住宅街まで行ってしまうトンチキさ。小学生かよ。早足で25分、うっすら汗をかいて市街地までもどってきました。まあこういうのもふくめて旅だと思うと楽になれる。日々を旅だと思って過ごせたらねえ。思い通りにならないことを笑って許してしまえるようになりたい。ということで、中川理沙と藤原亮のアクトは3曲だけ見れた。じゅうぶん。

会場に入った瞬間、「ここはあったかい」と直感させるような空気が広がる。ごはんの匂い、人々の声。壁には写真や絵が普通にあって、中心だったり周縁だったり人によって位置を変えながら好きな音楽が流れている。いろんなお店が並んでいて、こどもたちは当たり前のようにこの空間を駆けていく。こどものあしあとがつなぐものもあるだろう。堀江敏幸の小説みたいに微細な揺らぎ。まるで地元の商店街のなかで過ごしているような居心地。それでいて異国のマーケットのような刺激もある。親愛なるものすべてに言いたい、ぼくはいま、演奏と喧騒の間にいます。新しい音楽との出会いを生むお祭りを手作りして暮らしを彩ろうとするその態度に、2012年のTOIロックフェスを思い出す。しかしこれだけの音楽家を集めて入場無料っていったいどうなってるんだ。ここには音楽が鳴っている。集う人と人。ドアを開けると「ライブ」という曲のコーラスが響いていた。うーわおわおわー。世の中あったかいことばっかりじゃないけれど、金が欲しくて働いて眠るだけ、なんてださくてかっこいいけど、やっぱりさみしいことだと思うよわたしは、と心の中のちびまる子みたいな奴がささやく。ふーんと聞き流した言葉が思い出した頃に刺さっていくこともある。

車座で音楽家をぐるりと囲む配置。緑のまるい絨毯のステージを囲むような赤座布団。当然、逆側からは反転したような視界が広がることになぜかはっとした。どのバンドも、落ち着いたリズムで暮らしに添わせるような曲を演奏していたけれど、共通していたのはどれもいつのまにかダンスしたくなる音楽だったということ。それがバンドのグルーヴなのか演奏のリズム感なのか会場の雰囲気なのかはわからない。ダンスをしてる人は、誰もかれも女性もこどもも、なんだか素敵だ。しかしこどもたちの「あそばないなんてないでしょ」みたいな姿勢ほんとすごかったな。駆け出しただけで笑える?夜を迎えたハウスパンからは、会場の照明を間接照明だけで照らす演出、おもわず声が漏れた。高梨さんの歌と鮎子さんのピアノ、沁みた。折坂さんは日本のソウルシンガーとはまさしくこうあるべきだなって歌を歌うし、Haraさんと野田さんのデュオもやっと見れた。心踊る音楽、ほんとさいこうでした。

会場でお酒を3杯飲みブラジルのグリーンカレーみたいなシチューのごはんを食べて楽しんだ。ほんとに良い時間だ。こうなってくるとせっかくならしぞーかを楽しみたいなんて欲が出てくる。街を歩いたりごはんを食べたりしたい。けれど鈍行の終電が21時。ということで「表現」を見たい気持ちを我慢し、街へと繰り出した。良さそうなお店を探す。もう28歳なのでわざわざ静岡まで来て食べログなんて使わない。外さない効率よりも偶然が起こす特別さに今日の一食をぜんぶベットしたい。こちとらぎりぎりトーキョー、心意気だけは宵越しの金は持たねえの心持ちで臨みたいところだ。じぶんの目と足と直感で見つけたお店なら、もし失敗したとしてもまあ納得できる。「少なくともいまだけはおれは均質化に抗うぞ」なんてことを思いながら歩く。何件か目星をつけたなかで、赤ちょうちんのお店に入る。カウンターでおじさんたちの政治談義に耳を傾けながらおでんと唐揚げをハフハフとつまんだ。なぜか小池都政の話をしていたのがおかしかった。そのあとに瀬戸内寂聴の批判をしていたのがもっと面白かった。たとえおじさんになっても安いお酒に誘える友だちがいるってことは、なんて幸せなことだろうかと横のふたりを見ながら思う。練りものうまい。唐揚げはクリスピーな感じでうまかったけどそれに浸けるみかんソースは正直わかりづらくて微妙だった。お腹いっぱい。しめて2,060円なり。まいど。外が寒くてなんだか笑ってしまった。

まだ少しだけ時間があったのでスーパーマーケットに寄った。その土地の文化が食に宿るのであれば市民の台所を彩るのは商店街とスーパーマーケットだ。静岡産のみかんが安かったのでみかんを買った。気づけばかまぼこをじっくりと吟味していたあの時間が、なんだかよかった。

別にべらぼうに高い訳じゃないし、いっそ新幹線で帰ろうかとも思ったけれど、旅をゆっくりしめくくりたくて、結局鈍行で帰った。ふとスマホを見ると気温が氷点下、予報の最低気温を下回っていた。寒いわけだ。30分ほど眠り目を覚ますと喉がカラカラ、車内が異様に乾燥していた。飲み物がなかったため、リュックに隠しながらみかんを4つほど食べた。甘さがやさしくてジューシーでうまい。みかんみかんみかん。小説を読んで過ごす。急にスウィートなソウルミュージックが聞きたくなったので「L-O-V-E」や60sのサザンソウルを片手に菊地成孔忌野清志郎追悼文を検索して読んだ。

東京に着けば信じられないほどの満員電車。全然スウィートじゃねえ、平日の朝8時かよ。東京はいったいどうなってんだ。酔いはさめたがせっかく音楽で灯したあたたかいろうそくを消さないように気を付けて帰る。心のろうそくは油断するとすぐに消えてしまう。iPodの充電が切れてしまったのでサンクラを適当に聞いていると、マイミーンズというバンドの「そういうことだった」という曲が流れてきた。情景やモノに仮託する歌詞にめっぽう弱い。

日付が変わった時間に街に着く。地元のぎゅーっと曲がった坂道がぼくを迎えてくれた。金が欲しくて働いて眠るだけの人生じゃあねえ。坂の途中で立ち止まる。向こう側から車のライトが徐々に大きくなる。心の中のちびまる子みたいな奴から「おかえり」の声を聞いた。