いつも何度でも

仕事がうまくいかず、雲々とした思いを引きずって帰宅した。とても悔しかった。外の寒さが染み入る。サラリーマンのぬるい世知辛さとたたかう。モチベーションもマスターベーションもだいたいおんなじだ。んなわけない。

どうにも自炊する気分ではなく、セブンイレブンで冷凍のつけ麺を買った。昨日のなつやすみバンドのラジオに影響されている。もちろんこのつけ麺よりもおいしいつけ麺なんて世の中にたくさんある。けれど、240円でこのおいしさということを考えると、確かに下手なつけ麺に800円を払うのがばかばかしくなってしまう。

こたつに入って千と千尋の神隠しを見た。この映画は中学生の頃、友達と劇場でみた記憶がある。その頃はこの映画の湯屋の意味も対比もモチーフも台詞の深みもよくわからなかったけれど、物語にただ引き込まれていたのを覚えている。その後、大学生のときには長崎のゲストハウスにDVDがあったので長崎だけで20回くらい見た。ほんとうに大切なことを描いているとてもいい映画だと思うけど、ぼくはなによりエンディングソングが大好きだ。

とくにきょうは気分が沈みこんでいたので、電気を消したベッドでいっしょに歌った。そのうちに心の引き出しが開かれたような心地がして、自分でも戸惑うほど泣いた。真っ暗な部屋でこの曲をうたいながら泣いていると、たとえぼくがこの先独り身だったとしても、ぼくは音楽に支えられながら生きていけるかもしれないと、寂しさと心強さみたいなものを胸の熱さと頬の冷たさのなかに感じ入った。この歌とこんな風な待ち合わせをするなんて、あのときのぼくは思ってもみなかった。

これほどの映画に歌と弦楽器1本で負けないどころか圧倒し包み込むような大きさを持っている。吟遊詩人とはこういう人を指すのではないか。

歌ってみるとよくわかるのだけれど、この曲は歌詞がメロディーに自然とおさまっていくような不思議な歌だ。歌詞とメロディーの磁力が強い。それでいて情景描写は俳句のようなことばの消し方でうつくしく、主張がましくない。歌詞は希望的で、祈りもともにある。メロディーも簡単なのに口ずさみたくなるほどキャッチーだ。お手本のようなうたではないか。

最後にこの歌を歌ったとき、ぼくは誰と何をしていたのだろう。いつも何度でも、おんなじ歌を、ちがった風に歌っていこう。