こんな街でも素敵に映るキスを

日曜日、カーテンを洗濯した。あまりの寒さに負けて無洗米を買ったので、洗濯の間に炊飯。無洗米も正直味に遜色ない。しばしドラッグストアに行く。アロマディフューザーはアルコール洗浄するものだと思っていたら調べてみるとどうも中性洗剤で拭けばよいらしく、綿棒だけを手に取った。昨日の晩飯はカップラーメンだったのでカップラーメンは買うのをやめよう、こうやって風邪を引いていくぞ、と思った次の瞬間にはマルちゃん製麺の赤い担々麺170円を手に取っている。こういうのはもう、ぼくには抗えないし抗うつもりもない。紅茶花伝さくらんぼ味が気になる。昔飲んであまりおいしくなかった記憶があるものの、68円に釣られて無駄遣いした。ぼくのまえには子連れのお母さんがいて、息子が床に寝転がって駄々をこねている。昔の自分を思い出せば、母親から後ほど「お母さんは恥ずかしいよ」と気持ちを説明されるのだろうか。そりゃあ地べたに寝転がりながら発狂していたら恥ずかしいかもしれないがやってる方は親の気持ちなんかよりも自分の気持ちである。母親の気持ちを想像する隙間なんてなく、イヤダイヤダでこころの中身は満ちている。人の気持ちを想像するやり方すらわからない。そもそも恥ずかしいという感情もよくわからなかったかもしれない。しかしこの母親はレジに並びながら息子のおでこにキスを与えていた。こんな東京のこんな街でも素敵に映るキスがある。兄は母親の手伝いをしていて、ついにこれまでわかろうともしなかった兄の役割というものを教わる。弟には弟の苦労が絶えない。

帰宅し、カーテンを自分のベランダと共用のベランダもつかって干す。ご飯を5号分冷凍し、碗一杯、朝ごはんを食べた。おかかとふじっこ、梅干し、納豆、キムチ。おかかは醤油を入れすぎてしまいいささかしょっぱい。キムチに鰹節をまぶすとぎゅっとしまり、味も食感も良くなった。これは発見だ。おいしかったがあまりに健康的すぎてお腹一杯にはならなかった。昨年末に旅に出てから胃が大きくなってしまった。良いことだ。引き続き、台所の掃除。トイレ掃除。窓の埃掃除。大掃除をほとんどしなかったのでまあその報いみたいなもんだ。時々休んでは手を動かした。棚に入っていた紅茶やココアの粉末はほとんど使わずに2年も賞味期限が切れていた。試しに淹れてみたが飲まずに捨てた。エコと健康の不戦敗。2ヶ月過ぎていた緑茶を淹れて飲んだ。少し濃かった。

カーテンがなくなると部屋が広くなったような気がした。そして部屋が明るい。大きな観葉植物を置いて部屋に立体感が出るようなイメージだけはずっとある。一生、実現しないだろう。照明とスペースの問題で思考のロジカルローリングはショートを起こして一気に止まる。そんな手があったのかみたいな選択肢がきっとあるはずなのだけれど。窓を開けはなしてディフューザーを焚いた。Baobab、それからJudee Sillをとても久しぶりに聞いた。

紅茶花伝さくらんぼ味は以前飲んだ記憶よりもずっとおいしかった。技術や開発の進歩なのか、さくらんぼが後味にふわっと香るような使い方に変わっていた。評価なんて実に曖昧にふざけていてくだらないものだ。でもたまに役に立つ。300円だけ持って花でも買いにいこう。冬なんてもうすぐ終わる。そしたらワクワクするような春が来る。雪山の季節は終わり、なにかが始まるはずだ。花を買ったら沈黙の映画を見に行こう。交番ではお巡りさんが朱肉に朱を足していた。隙だらけで間抜けなかんじがして、わるくない。