どんな山登りをしたいか、よく考えなさい

兄嫁の妹が結婚するというのでご祝儀を用意することになった。お昼休みに郵便局へ行き、新札を揃えた。ご祝儀袋を買い、その帰り道、エビ中メンバーが急死したとのニュースが入ってきた。まず思ったのはガリ勉中学生のことだった。ぼくはある時期この曲に確かに胸を熱くしていたと思う。もし思うことが死者に届く世界があるとしたら、ないかもしれないけどあるかもしれないから、ぼくはなるべく強く、なるべく平熱で、そのときのことを思ってみようと思い歩いた。思ううちにいつのまにか別のことに思いを馳せ、また戻る。太陽が雲に隠れる。ビルを抜けると風の勢いが強まった。思いの移り変わりを何度か繰り返すうちにその思いは雪のようにどこかに落ちていった。ぼくは生きていこうという思いだけが残って混ざって消えた。

帰宅。ご祝儀を整えて実家へ持っていった。実家を出てまる3年になるが、初めて実家でご飯を食べた。家族で顔を合わせて食べるなんてもう何年ぶりだっただろうか。贅沢でも豪勢でもないおかずに箸を伸ばせば、やはりおいしさが増したような気がする。ご飯の後、お茶を飲みながらすこしばかり話をした。母親は元々ワンダーフォーゲル部で登山をしていたので、登山の話をじっくりとした。話を聞けば、俺なんかより数段上級で、最後は岩登りまでしたと言う。どんな山登りをしたいかをよく考えなさい、と言われた。危ないからやってはだめだ、とは言わないところと、どんな山に登りたいかではなくどんな山登りをしたいかと問うところが我が母らしい。帰り際、両親がすこし寂しそうだった。自分で言うのもなんだが、きっと嬉しかったのだろう。両親が死ぬときに、きっとぼくはこの日のことを思い出す。兄は知らないこの景色を遺体や遺骨の隣でぼうっとしながら力なく思うはずだ。ニトリで1時間ほど歩き回ってから帰宅した。自転車には冷たい風がしみる。

じぶんは普通ではない、生きづらいと思って、「普通」の人に憧れたり逆に蔑んだりするのって客体不在の憧憬でしかないと気づくのに最近まで掛かったし気を抜くとすぐにその幻想を見てしまう。普通なんてないことを実践しないと。買っていた花を乾かし、壁に飾っている。眺めるうち、ぼくは花を飾ることが好きというより、部屋にできる影を見るのが好きだということに気づいた。それからいろんな友だちの写真を壁に貼っている。毎朝会社に行く前に見ると、おれも頑張ろうと笑えたり、たまにイヤになったりする。

どん兵衛の天ぷらそばの天ぷらだけポテチみたいにつまみたい。時々つゆつけて、サクサク音出してかじりたい。