初めての水とき片栗粉

土曜日。二度寝三度寝を繰り返す。気だるい心地よさに身を任せる。そのうちにだるさが勝り、週末を充実させる欲求なんてどうでもよくなる。

お昼頃やっと起きる。掃除や洗濯なんていっさいがっさいどうでもよい気持ちだ。カーテンを開けると空は高く、日はあたたかい。部屋が明るくなり、同時に壁に貼っている花の影が見えなくなった。部屋にできる影が好きなのでカーテンは閉め、影を濃くした。15時頃なにかを食べに行こうと思い、外へ出掛けた。寒い。1時間以上歩くもハマるものが見つからない。結局公園のベンチで寒い思いをしながらオリジン弁当の焼きそばと唐揚げを食べた。母親がブランコに赤ん坊と一緒に乗っていて、赤ん坊はキャッキャッと嬉しがっていた。ベンチのとなりには誰のものだかわからない金色の缶コーヒーが飲み捨てられている。子どもの頃にあったような気がする記憶か妄想かわからないものをイメージの水面に浮かべるとじわじわとほどけていき、線を結ぶ前にとけてなくなった。からだはすこしだけ元気が出たのでしばし散歩を続ける。路地裏にたたずむ手焼きの煎餅がおいしそうだったけれど、無駄遣いが続いているので我慢した。

夜ご飯。地元では人気の懐古的中華そば然としたラーメン屋があったのでメンマラーメンを注文。麺はほとんどのびる寸前のような食感だけれどこれはこれで悪くない。メンマが好きなのでたまにメンマラーメンが食べたくなる。高校生の頃、社会人サッカーに所属していたとき、打ち上げでメンマラーメンを頼んだところ社会人の先輩たちにめちゃくちゃめずらしがられて、これも個性のひとつなんだなと腑に落ちたことがあった。こういう街の中華料理屋の延長みたいな中華そば屋にくるとそのときのことを思い出す。昔、ふとしたことから旅先でアイデンティティについての話になり、「そんなものはアイデンティティにはならないよ」と言われたことがあり、どういうことか聞いてみたらたいした回答がなかったので「なんだ本で読んだ受け売りか」とさめてしまったことがある。そもそもアイデンティティなんてない、という議論ならまだしも、アイデンティティを前提としたうえでその線引きについて話すことはいったいどんな意味があるのだろうか。メンマラーメンを食べると沖縄のゲストハウスでのワンシーンが湯気とともに立ち上がり麺とともに消える。

あまりに寒くて漫画喫茶へ。ジャンプを読み、YouTubeceroとなつやすみバンドとフジロッ久の映像を見る。一時間ほど過ぎた頃に「家で出来る」と気づき帰宅した。スーパーで大きめのイチゴ1パックが228円で売っていたのでひとつ買った。明日のご飯用に豚肉を買った。

日曜日もだらだらとしている(現在進行形)。昨日買った豚肉をフードプロセッサに放り込み、にんにく生姜ネギピーマンなどと合わせて挽き肉炒めをつくった。花椒とあご出汁、醤油で味をつけて、水とき片栗粉であん状にした。水とき片栗粉を人生で初めて使った。里芋の煮っ転がしの残りを時おりつまみながらうまいうまいと食べた。ほとんど一日寝て過ごした。途中、コンビニやドラッグストアで晩ご飯とグミやゼリーを買った。なんだか体調が悪くなる気配がする。困ったなあ。破壊衝動に身を任せて夜更かしでもするか。グミを食いすぎて気持ちわるい。眠れないよ。