「線を描くんじゃない。影を描くんじゃない。光を描くんだ」

お風呂上がり。夜寝る前にふと鏡を見る。顔の影が濃くなった気がした。皇太子みたいな顔だ。その調子だ。21歳のときに水俣の漁師に出会ってからというもの、せめて面構えのカッコいい男になりたいと思い続けているので、いつか面構えだけはカッコよくなりたい。どんなに目付きが悪く、どんなにふにゃふにゃしていても、どんなに禿げ上がろうとも、どんなにむすっとしていても。

他人の言動や存在にいちいち振り回されたり怒ったりするのは自分を簡単に失うからで、でもその逆を言えばぼくらのせいかつは他人に影響されている方がなんだかいい気もする。でもぷんぷんかりかり生活するのは嫌だよ。だから怒りに殺されそうになったときには、そのまま操縦させずに、すべての権限を剥奪することだ。それでもときどきは怒りに操縦させてやろうとおもう。

「愛している」と、「いてくれてありがとう」、はだいたいおんなじだ。いることはすごい。be動詞は偉大だ。ぼくは中学校3年くらいでbe同士のすごさを漠然と知った。存在には、他のすべての動詞とおんなじほどの価値があるのだ。あいとあむ。ゆーとあー。あなたといる。わたしとです。これはなんだかすごいことのように聞こえる。存在は、すごいことだ。影と光の間には、常に存在がある。

中学校の美術の先生は馬場せんせいといって、職員室にはいつもいないし美術室でタバコは吸うしなんなら授業中でもお構い無しだった。机にやって来てはヤニの臭いを口から吐き出す。いつも釣りで使いそうなポケットだらけのベストを着けていて、左の胸ポケットにはくしゃくしゃのタバコが押し込まれていた。それがなくなると美術室の奥の部屋に行き、もう一箱ビニールを剥がしながら戻ってくる。

馬場せんせいの授業で偉い画家の絵を学んだことなど一度たりともなく、ほとんどすべての時間、ぼくらは親指をデッサンしていた。テストには必ず親指のデッサンが40点近く含まれていた。おそらく、ぼくらの学校は親指をデッサンさせたら東京でいちばん上手にかけたとおもう。初めてRCサクセションの「ぼくの好きな先生」を聞いたときには馬場せんせいがモデルだと思った。それくらいふざけたせんせいだ。しかしときおり眼鏡の奥から見抜くような矢を射ってくる。

いま思えば素敵なせんせいだった。その頃のぼくはオール5を目指すかわいくないくそ中学生だったのにそんな訳のわからないテストをするわけだからいつも成績は3だった。そしてときどき見せるあの目付きは自分の小ささを認めさせる頑なな強さがあった。端的に言ってぼくは、馬場先生が苦手で、嫌いだった。一生懸命描いたデッサンを小バカにしてくるところがまた憎たらしい。塾の自習室で隠れて親指のデッサンをしていたら机に下写りしてしまい真っ黒になったこともあった。うまくはなかったけれど親指を描く時間は嫌いではなかった。

その馬場せんせいがいつも言っていたことがある。
「線を描くんじゃない。影を描くんじゃない。光を描くんだ」

いまのぼくなら、もう少し良い親指が描けるかもしれない。念願の4は、もうそろそろもらえるだろうか。