ハンカチ落としの答え合わせ

もういやだ、と小さくつぶやきながら受話器を置いた。仕事中、午前が終わる頃に悔しいことがあったので、課長の心配も振り切って涙を我慢しながら屋上へ向かった。会社で泣いたのはいままでに一度だけ。ギリギリ目標はクリアしたものの上司の期待に応えられなかった自分があまりにふがいなく思ったとき、2年ほど前のことだ。

屋上のドアを開く。誰もいない。曇り空のもと、ビルで遮られた空と空の狭間を覗く。思いにならない思いが渦を巻き、その回転に巻き込まれ、急に涙が決壊した。恥ずかしい。こんなことを書くのは恥だ。恥ずかしいことに、誰かの役に立ちたいと思って仕事をしている。恥ずかしい。それなのに誰かの役に立てないときがある。恥ずかしい。役に立ちたいと思った人から心ない言葉を浴びるときもある。きょうのぼくは、そのふたつがとても悔しい。

この悔しい気持ちは、今日の冷たい風で鎮めることなんてできるわけがない。それなのに、ぼくは帰ることができないで、ただただ身体ばかり冷やした。このまま早退でもしてしまいたい。食欲が湧かない。そのまま身体ばかり冷やしていると、勇気100%の歌が湧いてくる。

がっかりしてメソメソしてどうしたんだい?
太陽みたいに笑う君はどこだい?
 

自分のために歌われていたような気がして、でもメソメソなんてしてないよって思い、口ずさむ歌を続けた。スマホで歌詞なんて検索し、声にならない息だけ吐いて、喉を震わせないように歌詞をたどった。

ぶつかったり傷ついたりすればいいさ
ハートが燃えているなら後悔しない

じっとしてちゃ始まらないこのときめき
君と追いかけていける風が好きだよ

昨日飛べなかった空があるなら
いまあるチャンスつかんでみよう
 

松井五郎ってやっぱすげえんだな。ちなみに今日は忍者の日らしいです。

ぼくはいつからか、デジャブを「神様がその道で合ってるよって言ってる合図」だと思っている。子どもだましだと鼻で笑いそうになりながら、そう信じている。神様がいいって言ってんだ、と力を得る。でもここ最近、デジャブを見ていない。応答せよ応答せよ。

涙をハンカチでぬぐっている瞬間を後輩にみられたので、もうなんでもよくなって席に戻り顔を見られないように突っ伏して寝た。ああ恥ずかしい。

じぶんを見失いそうなときにじぶんを支え続けられる装置がほしい。じぶんの操縦桿くらい、じぶんで保てよ。音楽でも宗教でも信念でもいい。その装置がほしい。そこだけはロボットになっても良い。強く願うことだけがその装置になるような気がしている。だから今日は、強く願ってから寝よう。

仕事のあと、中川理沙さんと平賀さち枝さんのツーマンへ。sirafuさんを迎えた木漏れ日の歌。久しぶりに聞けた。今週末は久しぶりにうつくしきひかりを聞ける。ファンファーレを聞いているうちに思ったことだけ記しておきたい。こんなにすごい中川さんがひとり対ひとりを大切にしているのだから、ぼくなんてさらに頑張らなくてはならない。おおきな企業で働くとどうしても見失いがちなそのことをライブで揺り戻してもらっているような感覚でいままでいたのだけれど、そんなの甘えじゃないのか。働いている人の数なんて言い訳で、中川さんはこの数のお客さんに向き合ってじぶんをさらけ出さなくてはいけなくて、その勇気を思えば、なんだか甘えたことを考えてきたじぶんが恥ずかしくなった。でもなんだかすこしだけ嬉しかったりもした。弱さを認められるくらい、すこしずつおとなになっているかもしれない。

帰り道、だらだらと下北沢南口までのゆるやかな坂道を歩いた。なんともなんども立ち止まった。街に貼り付く思い出のシールをめくる。名残惜しむ男女を通過し改札に入る。エスカレーターを下る。すると、前の男性がNINTAMARANTAROと書かれたトートバッグを抱えていた。ハッとした。ハンカチを落とすようにぼくの後ろに置かれた歌を、デジャブを、ぼくらは大切に拾わなければならない。ハンカチを手に取り、すぐさまハンカチを落とした誰かを追いかける。いなくなった歌はぼくのいた席に座り、悲しみを代わってくれているとでもいうのだろうか。そんなわけはない。それでも、とぼくは思う。歌が埋めてくれる隙間だってあるはずなのだ。

神様は、いまのぼくに、それでいいと言っているだろうか。ハンカチ落としで答えを合わそう。