ことばは何色、

外に出れば、花粉のレコンキスタとでも言わんばかりの猛威で、道行く人々のマスク姿を見るにつけ、自然の前では善も悪もないなと思う。それはまじりあうということだ。白も黒も赤も青も。色はすべてまじりあえば黒に近づくのだから、白というのは特別な色なのだ。いやいや、そんなことを言ったら光を足しあえば白に近づくじゃないか。なんにせよ白は特別だ。黒とおんなじように。これからの時期に着る清潔な白いシャツが好きだ。春の楽しみのすべてかもしれない。三原色など引き合いに出す必要もなく、ぼくは白いシャツが好きだ。

目の前の人と会話を楽しむことができるのは、いまの交わりでもあり過去の交わりでもあるな。すくなくともふたつの結び目によって紡がれる行為が会話だ。

仙台と熊本出身の方と話した。ひょんなことから地震の話になった。どちらも被災しており、片方は何人も亡くされたという。こんな人たちの前ではことばはなんの意味ももたない気がしたのでしばし黙っていた。隣のひとが、ぼくはボランティアにいきました、と言い出した。その言葉を聞いたときに、ああ黙っていてほんとうによかったと改めて思った。あのふたりには、彼のことばは何色に見えただろうか。

朝、やさしい陽射し。ベランダへ出て、植物に水を遣る。水が注がれると、わずかな時間を置いて土が盛り上がる。水が重力に沿って下へ下へと吸い込まれるその瞬間、土がふるえ、水がきらめく。その景色が、最近いちばん好きだ。

信号待ちをしていると向かいで待つおじさんが爪切りをしていた。パチンパチンという音が夜の横断歩道に投げ出されていた。微動たにせすに切り続ける姿は少し気味が悪くて信号は渡らずに遠回りして帰った。

インターネットが通ってからというもの、だいぶ生活リズムが乱れている。毎日のようにYouTubeを見ている。初めてYouTubeで見た動画は、中学生の頃のNBAプレイ動画だったことを思い出す。今日はムーミンのアニメを見返した。不条理な世界観で物語は進む。不条理な世界観はたいていこころをざわつかせるものなのに、ムーミンママの楽観視が物語に安心感を産む。