こどもチャレンジ

父方の祖母はもう95歳であり、脚が弱く、生活の気持ちもずいぶん弱気だ。母は介護することも厭わない気持ちの一方、父は田舎に帰りともに暮らす気はないようで、家族介護にせよ事業者介護にせよ介護のなかでは誰かが我慢している。しかし生活する以上、それぞれがそれぞれに我慢しているはずで、介護が生活とともにあることと同義なのだろう。

今朝、こどもチャレンジに関するツイートを見た。ひらがなを書けるようになることへの広告がたくさん来ているという。自身の文字に関する記憶を反芻すると、確かにぼくは保育園の頃には平仮名は読み書きできていたような記憶がある。ひとつだけ確かなのは、ぼくは自分の名前の漢字を祖母から習ったということだ。あれが小学何年生だったのか果たして保育園だったのかは曖昧だが、自分の名前くらい漢字で書けないことは恥ずかしいと言われ、チラシの裏にともに何度も練習した。ぼくの家系はたいていみんな字がきれいなので、手本にした。ぼくの字は画張っていて、真面目で尖って頑固者なところが字によくあらわれている。祖母はおそらくそれほど長くは生きないはずだ。それでもこの名前だけは大切に、画張った字で名前を書くときには時々祖母のことを思い出しながら書くようにしよう。