4月のこと

ブログの更新がだいぶ空いてしまった。4月は初めてのテント泊をした。そのことを書いていたら膨大になってしまい、収拾がつかなくなり筆から遠退いてしまった。フォロワーのひとりが、このブログの言葉をツイッターのプロフィールに掲げてくれていて、そのひとのプロフィールを見てしまったので、更新しないわけにはいかなくなってしまった。重い筆をとりたい。

ずっとやってみたかったテント泊をやってみたが、魅力は正直よくわからない。楽しいことは確かだが、はじめて雪山に登ったときのような心の震度には到底及びもしなかった。喜びの鋭さが、まだ雪山には届かない。それでも、今夜の寝床を自分の目で見つけ、フィールドにあわせてテントを立て、飯を食い、寝る。時には稜線に突風が吹きすさび、生命について意識する。そんな瞬間は生きていると感じる。テント泊のことはゆっくりと書いていこうと思う。

4月の末、二度目のテント泊をおんなじ山に挑んだ。帰りは気づけば誕生日で、テント泊の装備を抱えて、20km近い距離を縦走した。20代最後の年、自分なりのチャレンジだ。さすがにつらかったが、息を切らして急な斜面を登る途中、仕事に対して感じている限界に、少しだけ突破口が見いだせた気がした。おれのなかの性格の悪いおれ、破壊衝動や怒りの人格に感謝しつつ、そんなじぶんばかりにはもう頼らない選択をする、そんなふうになりたいと願った。

自分という人間についてあれこれ考えを巡らせる時間が増える。最近は山にひとりで登ることが多い。ひとりでいることについて、考える。ひとりでも生きていける幻想を見る。そんなわけなどないのに。でもその幻想すらなければ、むかしのじぶんひとりひとりは、ひとつひとつの淋しさにどこかで負けてしまっていた気がする。

下山後はとにかくタンパク質を食べるべと思い、豆腐に納豆、豚しゃぶを食べまくった。あっという間に口唇ヘルペスができてしまい、なにがタンパク質だよとなじった。

4月の頭に、フジロッ久関係で人と会った。なにかが育まれて、動いていくのかもしれないし、そのまま交わることなく独立していくのかもしれない。

速さ(遅さ)とは「時間と道のりの密度」で置き換えることができる。密度の高さで考えれば、遅さとは密閉性が高く、その容積に含まれる内容物が豊かであるとも言えるし、速さは障害が少なく効率性が高いと言える。速さと遅さとは密度の高低をどう捉えるかという話だった。大学生から考えてきたことの答えはめちゃ簡単だった。

5/2はロロの演劇を見た。テントを飛び出して舞台を公園や過去、未来に拡げていくのがロロらしくて、物語以上に、200人近い観客とロロを見れていることに感動していたこと自体も、なんだか現実を何重にも飛び出しているような気がする。万華鏡のような、八十八夜の公演(公園)でした。島田桃子さんが桜の花弁を放るその曲線は、放物線でもなければ対称性も規則性もなかったが、美しさの数式とはこんな形ではないかと思えるような所作であった。5/2も4/30も、あいだの5/1も、どれもじぶんにとって大切な日なので、ドキドキしながら聞いていた。

GWはずっと家にいる。たまに散歩をするけれど。
洗濯をふつかかんで7回はした。掃除をし、山道具のメンテナンスをし、衣替えに取り組んだ。冷蔵庫の中身を整理した。シャワーの温度が変わった。季節は動いている。窓をあけていると心地よい季節になった。喉をいためないように、心地よさを追いかけるのだ。

またブログを書き始めようかな。