末広町PARK「好吃(ハオチー)展」最終日のこと

末広町のPARKで開催していた「好吃(ハオチー)展」に行った。ハオチーとは中国語でおいしいの意味らしい。もともと最終日に行こうと思っていたのだけれど、最終日前日の夜に藤原さんから久しぶりにLINEが来て、明日ライブをやるとのこと。しかも1品持ち寄りで。ぼくも自炊がけっこう好きだが、彼も自炊好きだ。持ち寄った料理で知らない人と食卓を囲みながらハオチー展を眺めるというのはとても素敵な時間に思えた。即返信し、スーパーいってきます!のだっしゅをかました。

ぼくは山をやる。4月、5月の週末は登山に傾倒していて、テント泊ばかりやっていた。小さなからだに10-15kgを背負って縦走するのはなかなかわるくない。ぼくは背がちいさいので、友だちからはリュックから足がはえているなんてバカにされた。おいおい態度と叩く口だけは大きいぜ。いちばん最近の登山では、仲間三人でめしを作った。焼おにぎりが食べたくて、焼おにぎりを準備した。当日。いつもよりずっと不自由な環境でめしを作った。フライパンが小さいので、ふたつずつしか作れないし、不安定な地面でバーナーが倒れ、軽くやけどした。フリーズドライの米をお湯で戻して、フリーズドライの袋でそのまま米を握る。サランラップもない。がんばって握るもののゆるやかな三角形には到底近づけない。それでもフライパンに溶け出すバターの香りがさいこうにうまそうで、心模様はすっかりご機嫌。焼き目をつけたおにぎりに醤油をすこし垂らすと、醤油の焦げ付く香りがテン場に漂う。醤油の焦げはなぜこうもうまそうなのか。食欲がフライパンの縁をオーバーラップ、センタリングが食卓のゴール前に上がる。さいご、インサイドで当てるだけのゴッツァンゴール。いびつなおにぎりは皿へと転がった。インスタ映えしないジェニックおぶざいやー。3人の視線が集まるそのおにぎりを、まずひとつ、友だちに食べてもらった。正直すこし不安だった。彼は少し恥ずかしそうに手に取る。海苔と大葉を巻いたおにぎりを素手で頬張り、数回噛む。彼は、素晴らしい笑顔で「おいしいっす」と笑った。てめえナイスガイかよ。そのときの嬉しさは、ちょっとたとえることができない。料理人を目指す人の気持ちがすこしわかった。そりゃあこんなん知っちゃえば。おいしいとは魔法だ。世界の設計図(遺伝子)に暗号化されている、世界の秘密だ。料理をこしらえた人にとって、おいしいとは「いてくれてありがとう」と同義。他のいのちを摘む罪深さを抱える食の奥底には、おいしいという福音がかくれんぼをしている。庶民にも許された、分かち合う喜び。決して特別に贅沢とは言えない食事が、こんなに嬉しいものか、とウロコが落ちた。間違えてうんこを落とさないように尻の穴を閉めた。素晴らしい食事で変に絆が深まってしまったのか、「おれはお前とこの先も友だちでいたい」なんて台詞が飛び出してきた。お熱でもあるのかよ。先生、次はこちらの患者さんです。少々面くらい、さすがに酔っぱらいすぎだろうと気恥ずかしかった。

食に困ったことはあるか?おれはある。休学中、九州を旅している頃、通帳の中身がなくなりかけたことがある。ゲストハウスの方に米を分けてもらったりしたが、あるとき川に流れる鯉を見て、最悪こいつや雑草を食べよう。そう思ったら、悩みなんてなくなった。(ドブ臭さをとるのに超丁寧にシンクで水洗いするという意味での)鯉のアライなんて、冗談にはさいこうだ。人は思ったよりも強い。人の生は、追い詰められるとヒリヒリと燃焼し始める。しかし法は思ったよりも厳しい。いまならおれはこう言うだろう。悩んでる暇あるならバイトしろバイト。働くことの尊さをすこしだけ知っている。

友だちはおれの持ってきた野菜をウインナーと一緒に炒め、同時にけんちん汁を準備した。最初に料理の手順を打ち合わせの時間を取ったのが勝因だった。コミュニケーションの勝利。うまい。うますぎるぜ。さいごに、あの超有名なファミリーマートが、とっておきのとっておきとばかりに売り出す超高級食材、上等なハンバーグを湯煎した。みんなで分けて食べた。山で食べるデミグラスソースなんて、さいていの次にいいものでしかないよな。

おいしいを連呼し、友だちと山の神とデミグラスソースを讃えた。ファミリーマートおいしいよありがとう。山のカラスが物欲しそうにこちらを探っていたが、これは私の分なのでやるわけにはいかない。格闘の準備ならできているぞ。19時前にごちそうさまをし、片付け。テン場に充満させたおいしいを深呼吸で回収した。

そんなわけで最近、ぼくはおいしいヅイている。そらハオチー展には行かずにいられない。当日の朝、目覚めてとりあえずスーパーへ。直前までほうれん草のゴマ和えやアボカドの酒粕漬けと迷っていたが、夏のような日差しを浴びて、きょうは茄子!茄子の揚げ浸しを持っていこうと決める。なんのことはない、ただただ自分で食べたかった。藤原さんが頑張ってない料理が良いと言っていたので、頑張らないようにしようと赤信号に誓った。誓った信号はすぐに青に変わってしまい、誓うものを間違えたなと思いながら横断歩道を渡った。空を見上げるも、どうやら茄子みたいな雲は流れていなかった。

換気扇を回す。手を石鹸で洗い、調理道具を念のためきれいに洗い直した。多目の油で茄子を焼いて、軽く油抜き。めんつゆ、しょうゆ、酒、みりんで一気に漬け込む。酒は谷川岳。軽くアルコールを飛ばす。夏の庶民の三大薬味、しょうが、大葉、みょうがで和えて冷蔵庫で寝かせた。本来は人様に召し上がっていただくわけで、すこし緊張するはずだ。頑張らなくてよかった。わりと自然体でつくれた。余ると残念な気持ちになるだろうと思い、つくった量の2/3程度を持っていくことにした。足りないくらいがおいしいよねと、少食の自分に言い聞かせるように口に出した。

15時に着いたらまだ藤原さんはいなかった。ふんふんと展示を見る。ともまつりかさんの写真、michiさんの文章が印象に残った。ふたりとも食卓の景色、とくに人の表情や会話がよく見えたところがとてもよかった。パークの店員さんと話していると、以前平井パーク時代にお客さんとして出会い、さいごにみんなで飲みに行った方だと気づく。あれは平井パーク閉店3日前くらいだ。まさか店員をされているなんて、想像もしていないのでわかるのに時間がかかった。そうそのとき、ぼくは店主の加藤さんと初めて出会った。加藤さんは圧力鍋に煮物を詰めて登場。世田谷から電車で運んできたと聞いて笑った。話も面白いしおいしい料理まで振る舞ってくれる、閉店後に連れてってくれた飲み屋は伝説の獅子王、料理がぜんぶうまい。さいこうに信頼できるナイスガイだと思った。藤原さんからの信頼の厚さが尋常じゃなかったのをよく覚えている。

ぼくは、その店員さんと話しながら、圧力鍋を持って登場した加藤さんの姿と、ストーブのうえであっためたあの煮物のことを、ひとり思い出していた。

到着した藤原さんはパークの台所でご飯を作った。続々と届けられる料理。紫蘇やミョウガで和えた混ぜご飯。そうめん、サバ缶を崩して和えたやつ(そうめんのつけ汁としても優秀だった)。鶏むねハム的なやつ(あまじょっぱくてうまかった)。食卓に運ばれる料理にテンションが上がる。いつのまにか開始時間はとうに過ぎていた。16時を30分過ぎた頃、藤原さんの料理や配信の準備が整った。目の前の食卓におもわず笑みがこぼれる。どういう集まりかいまだにわからないが、末広町のパークにて、おれたちは食卓を囲んでいる。藤原さんがヒッチハイクしてるときに拾ってくれたという前列の女性が、さいこうのグルーヴを出していた。藤原さんの周りは、こういう魔法みたいな出会いが取り巻いている。シュプレヒコールのときに、場の渦はまさにさいこうに。目の前の食卓に並ぶご飯を眺めながら、特別たり得ない自分自身に重ねたりして、ああこの特別でないご飯こそシュプレヒコールだ、なんて思った。おいしいを浴びている。シュプレヒコールのラストに重なるように17時のチャイムが鳴り響いた。リクエストを聞かれたので、ご飯のテーマをリクエストした。

ぜんぶが終わって、ぜんぶが終わった。ライブを見ながら読んでいたRenna HataさんのBABYという本を買った。イかした文章でした。

最後、フジ久ファンの方々と飲みに出掛けた。お店はさいこうのワインバーことサイゼリア。フジ久のファンはだいたい決まって気の良いやつなので、安心して話した。好きな曲、音が鳴っているときの気持ち、続けること、についてあーだこーだと。ぼくもおんなじ気持ちです。フジ久の再開はまあでっかい待ち合わせだと思って、ゆっくり待ちましょう。風や虫を待つ植物の受粉を思えばたやすい待ち合わせでしょう。しかし思えば、ファンと飲みに行くなんてライブに通い出してから初めてだった。ありがとうございます。おれもすこしは成長しているのかもしれない。

おいしい時間。時間の旨味成分こと幸せ。海原雄山のような舌は持っていなくとも、ぼくらは2秒の瞬発力でおいしいを決めていいのだし、4つの音で喉や唇を震わせて、「おいしい」と言えるのだ。誰にもできるやさしいことばや、誰にもできる料理を、ぼくらはひとつかふたつ、持っている。I say おいしい、you say ハオチーでお願いします。食卓囲んで、美味しんぼでも見ようよ。目刺しでも焼いてさ、六本木で会おうよ。