しあわせは分かち合った方が膨らむ

友人の結婚式でブーケの代わりにブロッコリーを(一本?)もらった。生のやつだ。小さなマヨネーズもついてきた。独身の森に迷いこんだ気がする。早いところ食いきってあの深い樹海から抜け出さなくちゃ。

結婚式は友人の人柄がにじんだ、とても良い式だった。新郎がじぶんの母親をエスコートするのにThe Monkeesの方の「Daydream believer」を流していた。新郎の締めの挨拶は誰かのためにという思いが伝わる真摯さで、全編を通して細やかな心遣いに打たれた。体調が万全とは到底言えなかったが、名古屋まで足を伸ばしてよかった。

新幹線にのりながら、なぜか、夏について考えを巡らした。セミの鳴声で起きる朝、埃と若草の匂い、濃すぎるカルピス、捕まえたカブト虫やイナゴ、水面の浮きとたるむ糸、アユやザリガニ、夕方の仏壇に響く静寂、真っ暗な天井の木目、墓掃除、透明な皿に盛られた桃と梨、渋滞の高速、車酔い、水草とブクブクとゲンゴロウ、干からびたザリガニ。

昼間、のらりくらりとしていた台風が夜中に来て勢いを増した。月が1時を打つ頃に、雨は窓を叩くのだ。

鍋焼うどんの出汁の匂いが部屋に充満しているなかで寝られるしあわせは、ひとつのこらずぼくのものだという気持ち−−それは大人になるとすこしさみしい。しあわせは分かち合った方が膨らむ。