きみは西巣鴨「てんびん」の汁なし担々麺を食べたか?

都営三田線西巣鴨駅の改札を出て階段を上がるとすぐ隣に「てんびん」というお店がある。中国四川系の料理、麻婆豆腐や担々麺のお店なのだが、ここの汁なし担々麺をぜひ食べてもらいたい。


[てんびんの汁なし坦々麺]

[てんびん外観、徒歩2秒の立地]

そもそも汁なし担々麺とはどんなものか。「唐辛子の辛味と花椒のしびれを中心に据えた、スープがない担々麺」、とでも言えばよいのだろうか。この麺料理は、スープの汁気がない分、タレの旨味が濃密に凝縮されている。混ぜられることで麺はタレをまとう。舌に運ばれる花椒などの香辛料。舌の痺れはときに感じるはずのない味覚をも連れてくる。その複雑な旨味を確かめながら箸を進めるうちに、口のなかにはえもいわれぬ幸福感が胃臓の隅から沸き上がってくる。旨味の重力。ぼくは、この麺をすすりながら何度「うめえ...」と意図せぬ声を漏らしたことだろう。恥をかきながら通っている。

お店によって特徴は様々。ある店は太麺に舵を取り、ある店はしびれの薄い辛味に重心を置いている。トッピングや麺にこだわる店もある。タレに鶏ガラではなく魚の出汁を織り混ぜるお店もあるし、レタスを混ぜてヘルシーさをプラスするお店もある。そんななかで「てんびん」の汁なしはちょっとうまさが群を抜いている、とぼくは思っている(ちなみにてんびんという店名の由来は元々中国四川ではてんびんにかついで担々麺を売っていたからだそう)。通い初めて3年目、てんびんの汁なしはすでに70杯くらいは食べたと思う。汁なし担々麺で有名とされている広島のお店は3軒回ったし、東京の有名なお店はそれなりに通ったけれど、やっぱりてんびんがいちばんだ。



てんびんの汁なしが他店とちがうのは、まずはタレ、特に汁気の多さだ。汁なしと銘打つには少し多すぎるほどのタレ。しゃばしゃばな汁なし。これはもはや汁(つゆ)だ。そのため、はじめの頃は湯切りの失敗なのかと思っていたが、これは旨味となるスープをタレのベースに多めに加えているためだ。これにより旨味の濃度を保ちつつも、麺と麺は互いにほどよい距離感を保つことができ、その間に表面張力でそのタレを含み口まで持ち上げてくれるのだ。表面張力。よく「タレがなくなるまでかき混ぜてください」と指示があるが、汁なしのタレを味わうのに、なくなるまで混ぜる必要などほんとうはなかったのだ。というより混ぜすぎは味を均一で単調にしてしまうのでぼくはおすすめしない。少しムラがあるくらいがおいしい。この汁により、他店でありがちな、ゴマを加え過ぎたがために出来上がった粘度の高すぎるタレ、これを混ぜるうちに麺と麺が絡まりすぎて麺のダマができあがる、なーんて悲しい事態は決してない。麺が引き上げるのはタレだけではない。挽き肉もタレのおかげか、ジューシーでおいしい。思い出した頃にチンゲン菜が現れ、食感を変えてくれる。

また、てんびんの汁なしはカラシビの具合がちょうど良い。四川のしびれを保ちつつもどこかジャンキー、という絶妙なバランスを保っている。このジャンキー感に貢献してるのはあの麺かもしれない。辛いのが苦手だなんて人もいるでしょう。もちろんてんびんの大将は一見さんには「うちのは山椒つかってて舌がしびれるんですけど大丈夫ですか?調節もできます」って聞いてくれるので安心。中華そばも辛さの控えめな黒ごま担々麺もあるし、汁なしでも大将に申告すれば辛さもしびれも調節してくれる。イケる人は超マシマシの陳オーダーもある。

ここから先はもう蛇足で、ぼくがいかにてんびんのことが好きか書くためだけの文章なので、食べたくなった、なんてありがたい人はいますぐスマホの画面ぶっ壊して三田線に乗ってください。細菌学者の野口先生、握りしめて。

てんびん大好きトークは勝手に続きます。掲げたいのは店長の人柄のよさ。一見こわもてな大将だが実は心根がめちゃくちゃやさしい。常連さんと一見さんには挨拶を使い分けているところもポイント。このお店は地元の常連客が非常に多く、しかし決していやな空気など微塵もない。なんでも、大将は中華で修行を積んでからこの店を出したらしい。以前、中国料理の話になり、横浜中華街のおすすめを聞いたときには、「点心系がおいしいお店は間違いない」との教えを賜り、すぐにぼくの金言に。それまで中華の金言としていた「メニューの多い中華料理屋は間違いない(じぶんの経験則から)」をその日のうちに貼り替えて、いまでは大将のお言葉を心の玄関に飾っている。

僭越ながら大将は経営者としても優秀だと思っていて、汁なし担々麺単品で700円。絶妙に手が出しやすく通いやすい、通ってしまえばこちらとしては半ライスか麺大盛りくらい頼んでしまう価格設定だ。さらにランチタイムは半ライスかたまごが無料です。もうどうすりゃいいのか。

好立地の反面、このお店はとても小さく、カウンター9席しかない。厨房やトイレ含めて8畳くらいなもんではないか。面積が小さい分、おそらく家賃は通常の店舗よりも下がり、設備投資もそれなりに抑えられたのではないか、と推察している。しかしキッチン器具はステンレスで清潔感があり、少し物が積んであったりすることもあるがいつも使い勝手が良さそうな調理場だ。店にはいつも60-80年代の音楽(ジャニス、ビートルズPPMなど)が流れており、なんでも知り合いだかお客さんだかに選曲してもらったのだという。

テーブルの上の高菜は無料、ビールやお酒のあてにするもよし、半ライスに乗っけるもよし。この高菜もうまいのでおすすめ。ビールはサッポロ、赤星のつまみにでもいかがでしょう。

食券を買って汁なし担々麺、半ライスでオーダー。席に座る。供された汁なしを存分に堪能したのちにその真っ赤な海を米で染めろ。高菜を乗せ、れんげで混ぜて食う。言葉に追い付かれないように、とにかくいそいで口へ運ぶのだ。箸とれんげを置いたらゆっくり2杯水を飲む。ごちそうを食べたあとの吐息に静けさが混じる。あしたのオーダーにはきっとそんな夢さえ詰め込める。てんびんの汁なし担々麺、さいこうにうまい!ぼくのさいこうレコ麺ドです。