曲は、誰かにとって常に新しいな

先週は水、金と会社の忘年会が続いた。会社の飲み会は基本的に楽しいという社会人ライフが送れている私は、周りの環境に恵まれているのだと思う。ご機嫌な夜を迎えることができて嬉しかった。

土曜日は連日の飲み疲れと二日酔いのまどろみに沈む。ベッドから背を起こしたと思えば太陽は沈んでいた。自尊心のために洗濯だけこなす。19時を回っている。つまらない言い訳みたいだ。翌日はクリスマスイブ、表参道から原宿に向かう。周りはカップルばかりだったが少しも気にも止まらない。まっすぐと歩みを向けるは、新しくオープンしたfinetrack TOKYO BASE。雪山装備を確認。雨は夜更け過ぎに雪へと変わって雪山になったらいいのに。おれは生き残る。ハードシェルを試着したら横からすっとヘルメットが出てくるあたり、さすがのスタッフの質の高さ。この会社の採用条件は登山のグレーディング評価にあたり、いたく参考になる。しかし私の雪山信仰の深さは、いい加減なキリスト教徒と良い勝負ではないか。お店でアンケートを書いたら、小銭入れをくれた。こんなことをしていながら今年は大掃除らしいことをしていない。まだ年賀状のコメントすら書いていないのはいささかまずい。

クリスマス、再び表参道へ向かい片想いの忘年会。去年は旅に出ていて長崎のカトリック教会を夜中にはしご。ミサを体験していたので参加できなかった。2年ぶりだ。メンバーの構成すら知らなかったわけだが、グッドラックヘイワがまず素晴らしいアクトだった。片想いはもちろん良い。途中のビンゴ大会はダブルリーチまでかかったものの当たらず。誰かの人生みたいだ。角張社長はノリが軽いのにアツくて特別な人だといつも思う。

翌日、連日のYouTube視聴のせいか仕事のストレスか、頬骨まで痛む眼精疲労に悩まされた。仕事中ハンカチを濡らして目に当てた。帰宅後、熱い風呂、蒸気でアイマスク、アロマ、深い睡眠でなんとか悪くないところまで戻った。

27日。下北沢でなつやすみバンドのライブ。30分遅れて到着するといまだ長蛇の列。入場するとすでに超満員のなか、かなり押しているのか、EMCのライブが始まっていた。こんなライブは久しぶりだ。さすがの集客。不思議とひとりぶんだけ空いていたステージ向かって175度の角度から隙間を覗く(出演者通路だったことにライブ後に気づく)。EMCはあの素人感が魅力だと思うけど、細かいところがぐだぐだだったのが少しだけ気になった。

続いて行われたなつやすみバンドのライブは当然素晴らしく、一曲目のぶちあげから始まる構成、sirafuさんの前のめり姿勢も年末らしくてよかった。夏も平日も年末も、おんなじ過ぎ行く運動だ。迫る年の瀬乗りこなして目指そう。ようやく聞けた新曲はどポップス。「少し照明明るくしてください、楽譜が見えないと地獄のような曲になるので」と前置きしたsirafuさんの言葉とは裏腹な明るさ。明らかな光が射してるしオケっぽい構成、音調も希望に傾倒していて、とても好みだった。まだ曲名が決まらないらしい。聞きながら、かつてRCサクセションが「お墓」という曲を「15年前の新曲」と紹介したあのシーン、1980年の忌野清志郎のことを自分勝手に思った。ずっと新曲、そういう曲であってほしい。曲は、誰かにとって常に新しいな。

ザ・なつやすみバンドのハードコアなファンには2014年頃から既に常識となっている法則ですが、「ザ・なつやすみバンドは曲名がカタカナの曲はぜんぶぶっ太い名曲」というのがあるから、カタカナ群に仲間入りだといいな。パラード、サマーゾンビー、ファンファーレ、ラプソディー、ユリイカ、ハレルヤ、ファンタジア。

終演後、たくさんお酒をおかわりし、小西さんのDJでダンスに興じた。小西さんの早回しがほとんど見れなかったのが残念。さいごに中川さんと話を交わした。とても楽しかった。時間はあっという間、気づけば終電がなくなるギリギリの時間になり、急いで箱を出た。「良いお年を」すら伝えずに出てしまった。電車がなければそのとき考えようという気持ちで駅に向かう。なんとか満員電車に乗り込んで地元の駅までたどり着く。駅前のラーメン屋で煮干しラーメンを食べた。月が高く一時を打つ帰り道、心の充実を胸に抱え、RCサクセションの「わかってもらえるさ」を歌って歩いた。そこからの記憶はない。

2017年は色々あった。なんだかんだ良い年だったと思う。特に仕事を通して、人としての成長を望む気持ちが強くなった。心の保健衛生を保つ知恵と、弱さを認めるしなやかさが育てられている。まだまだぜんぜん至らないけど。30歳を前にして準備の年と位置付けた誕生日の縦走登山の誓いは実を結びつつある。ババンババンバンバン!と前向いていこう。

みなさん、良いお年を!

雪山と海釣り

雪山の季節がやってきた。登山雑誌の雪山特集を読みふけり、数年後を見据え中期的な目標を厳冬期赤岳(八ヶ岳)と定め、今シーズンの目標を友人とともに確認する。自分に不足している装備や技術を洗い出す日々だ。登山の装備は、価格的に決して安くないものの生命が掛かっている。そのため、目的に応じたトータルコーディネートと優先順位付けが肝要だ。今年の目標は、雪山初級者を卒業するレベルの山に登りたい。そのために、まずはシーンの具体化とレベルの整理、装備の優先順位付けに取り組みたい。

先日、友人と釣りよかでしょうの話になり、実際に釣りしてみようと話が広がった。日曜日、東京湾に海釣りに行ってみた。10時過ぎから17時まで3人で釣る。真冬の東京湾、海は荒れた。登山装備を駆使するも、海風に煽られ風邪を引きかけた。風は怖い。ゴアテックスのレインウェアではどうしても風抜けが防ぎきれず、ベースウェア含めて内側に着た5枚がつくる空気の層はあっという間に寒気に貫かれてしまった。雪山だったらと思うと、やはりハードシェルは必須なのだと実感した。しかしハードシェルを買ったとして、風抜けはなくなるのだろうか。そう考えると、結果、ハードシェルとソフトシェルを組み合わせるなど必要になるのかもしれない。

ハゼ7匹、磯ガニ3匹の釣果。終了後すぐに我が家へ移動し、唐揚げを肴に打上げをした。釣りよかの動画を見ながら自分で釣った魚を自分で料理して食べるという贅沢は何にも変えがたく、同じアウトドアとはいえ、登山では味わいがたい豊かさだ。

ぼくは今回、20年ぶりに釣りをした。釣りよかをきっかけに、自分で釣った魚を自分で料理して大好きな友人と食べるというDIYの始祖鳥のような豊かさを味わった。原始的だからか、豊かさの充実がすごい。薄くない。その裾野をぼくのような一般人にまで広げた、それだけで、このチャンネルはすごいとおもう。

彼らの良いところは、陽気におちゃらけているところ。仕事でもあるから人間関係は簡単じゃないにせよ、気のいい男子が遊んでいる独特なあの空気感が動画にもにじんでいるところがとてもよい。

いちばん有名なのは鯛やまぐろなどの釣り編だけど、ぼくはおちゃらけている料理編が大好きです。

成し遂げたいことを積み上げるケルン

仕事で一喜一憂する日々だ。目の前の一歩進んでは下がる出来事に囚われてはいけない。じぶんがほんとうに成したいことをよくよく見据えられる人でありたい。誰かの役に立つ、困っている人を助ける−−ほんとはそんなシンプルな思いだけなのだから、目の前のことに専心していたい。

仕事でなにかを成し遂げる人はすごい。そうありたい。でも、周りの人を踏み台にして成し遂げた偉業ほど寂しく空虚なものはないと思う。周りの人を思いやれる視野や懐は持ちたい。ぼくはもう六年目、残り5クール程度の仕事人生のなかで、誰か一人だけでも救えたならそれはもうさいこうなんじゃないか。年々、自分の小ささいたらなさを突きつけられる。ほんとうに思い上がっていたな。

親愛なる不思議な夜について(今年3度目の雲取山登山)

金曜日、職場から駅に向かう坂道を自転車で爆走する女がいた。両足をV字に伸ばし、女は叫ぶように歌った。聞いたことのあるCメロみたいなフレーズだったが、思い出せず10分ほど口ずさむ。駅のホームで粘った末、ようやく思い出した。カントリーロードだ。



「心なしか歩調が早くなっていく」



金曜日の夜を始めるのがあこがれについての歌とは。まるで出来すぎた物語が始まっていた。土日は板橋の植村直己冒険館に行き、本を読むつもりだったが、自分の足で、一本道の続く旅に出たくなってしまった。帰宅すると一心に山の道具を揃え始めていた。こうなったら止まらない。

気づけば食料を欲張りすぎてしまい、17.8kgにもなっていた。15.5kgまで、いろいろと削る。心を落ち着けるようにシャワーを浴びて眠る。遠足気分だ。翌朝、5時過ぎに起きて電車で雲取山へ向かった。登りはいつもの通り、息を切らしながら亀のように歩く。9:20頃開始し、13:30に奥多摩小屋へ着いた。まずまずのペースだ。道々に積まれるケルンが増えていた。

受付を済ませ、今夜の寝床を固める。平たい地面が確保できた。水場から水を背負い上げる。今日のすべてが片付き、14時半ごろ、遅い昼ご飯とした。ここからはすべてが自由だ。

いつからか、山に行く度に思いめぐらす言葉がある。いつか母親から言われた「どんな山登りにしたいか、よく考えなさい」。今日は自分らしい登山にしようと、大好きな登山の本を持ってきた。ヘッドライトに照らしながら寝袋のなかで読むのだ。稜線上のテント場は、17時頃にはもやに包まれてしまった。こんなのは初めてだ。

楽しみにしていた調理、焼き肉とまいたけピーマンのバターソテーは失敗。肉は火の通りが悪く、塩を忘れてしまったためにまいたけの臭みが強い。たいしてお腹も減っていなかった。塩には臭みを消し、味をまとめてくれる力があるらしい。ほとんど残して朝ごはんでリカバリーすることにした。料理が得意だなんて口が裂けても言えないな。

19時過ぎには寝る準備を整える。トイレに行くも、星どころかもやがひどくて、前の道すら見えない。諦めて寝袋へ。ヘッドライトをつけて二時間近く本を読む。ガストン・レヴュファ「星空と嵐」。登山の本にはすばらしい本がたくさんあるが、まだ読み終えてすらいないこの本は、間違いなく、その一つに数えられるだろう。卓越なる語彙と筆捌き、訳文のリズム、フランス文学独特の息継ぎを味わいながら、うたた寝が気持ちよくいつか夢の中へ。

夜中、地面からの空気が冷たくて、何度か起きる。3時過ぎかと思い時計をみたら23時だったときは絶望しかけた。4時前だったか、トイレに行こうとテントを出る。テントのジッパーは凍っていた。バリバリと開ける。すぐに星空が迎えてくれた。うわあ。氷点下の澄んだ空気に元気そうに浮かぶ遊星。振り返れば、月が西の空に低く、妖しく輝いてた。周りの空はレモンとオレンジの間のような色合いがにじむ。うつくしさのすべてだ。

夜の歩みとともに姿を覗かせた月の明かりは夜道を照らしてくれている。おかげで、ヘッドライトなしでも歩ける。夕刻のもやを吹き飛ばした風は、稜線にあるぼくにも平等に襲いかかる。心の奥にまで届きそうなほど鋭い寒さがダウンやフリースを抜けて皮膚を貫く。理由もなく涙が伝っていく。

衛生的とは言えない、貝のような臭いがたちこめる暗いトイレのなかで、心について考えていた。自分と世界をもっとも離す場所にあるのが胸で、だから人は心をそこに置くのではないか。もっとも離す場所にあるから、もっともつながりたいと願う。そんな逆説も健気さの形ではないのか。

和式トイレの足場と足場の間のクレバスはエベレストの氷河に潜むアイスフォールよりも暗く、深遠なる闇だ。トイレを出ると、小雲取山の斜面には小さな光がちらついていた。月を追いかけるように、西へ西へと彼らは高度を上げていく。時々、こちらを振り返りながら。はたして頂上へ、出遅れた朝日を迎えに行くとでもいうのだろうか。

テントへ戻ったぼくは数分間、夜空を見上げていた。夜空がきれいだからではない。今まで意識してこなかった夜について、なんだか不思議な体験をしている気がしたのだ。首筋が痛むまで見上げ、テントへ入った。しばらく、レヴュファの本を読む。花に嵐の例えもあるよな。

翌朝、7時過ぎにゆっくりと起きた。お腹が減っている。冷えたからだを労るように、味噌汁や鶏団子スープに昨日残したご飯をうかべる。水気の多い野菜類はバターソースをギリギリまで煮詰めてなんとか形にした。登山には、薄くて柔らかい肉の方が良いし、なんならコンビニのハンバーグが一番良い。

ゆっくりと寛いだあとに準備をして、9時半ごろに道を発った。12:10に下山した。途中、水場のあたりで鹿が斜面を横切ったのを見て興奮した。

帰り道、オレンジ色の青梅線に乗りながら「うつくしきひかり」の「夜」を聞いた。車窓からこぼれるひかりのなかで、この旅のはじまりと夜について考える。

眠る直前、ページをめくるレヴュファの本にはこんな一節があった。
「けれどもあこがれは、いつでも抱いていなければいけない。わたしは思い出よりもあこがれが好きだ。」

ぼくはあの夜、心の奥に刺さりそうな寒空のなか、稜線上の一本道の上で、旅を始めたあこがれについての歌と、それを結ぶ夜のつながりについて、きっとどこかで感じていたのだとおもう。あまりにも出来すぎた、夜の話だ。

バイバイ、おれのはてなブログ

はてなブログ、いつのまにやら、スマホからPC版にログインできなくなってしまい、詰んだ。解決できない詰め将棋。投了だ。日記がとても描きづらい。少し間違えてしまうと、下書きに残すことすらできずに消えてしまうリスクと付き合うのはほんとに勘弁願いたい。ていうかスマホ版でも「下書きから書く」機能作ってくれよ。日記を書くのが滞っているのはそのせいではなく単に書くことがないからだ。

土曜日、家事家事家事!家事ー!小さな家事を積み重ねることはゼロをつくりまくることとおんなじ。なにも生むことなく、ただ戻すだけ。でもそんなことがおれを救うし、なによりも穏やかにしてくれる。家事をやったあとの隙間にベッドでごろごろしてるとき、太陽が射し込んできて白いシャツが風に揺れているとき、なににも脅かされていないその時間に気づくとき、なによりも幸せだと感じる。

海老の殻で出汁とって豚バラとほうれん草でスープつくったらばらいうまかったので推奨していきたい。臭みが強かったのでしょうがと酒、花椒が活躍してくれた。調理の知恵を築いた先達、ありがとう。あと半年で30だけどはじめの一歩観て泣きはらした目でもって胸張ってスーパーへゆくぞおれは。


日曜日、植村直己の本をもって新宿御苑へ。すく隣にあるであろう、繁華街のクレバス。一度落ちると恐らく戻ることはできない溝を想像する。カップルが多く、ほほえましい限りだ。ああいう場でペッティングしてるやつらはいったいどういう了見なのか、いつかインタビューしてみたい。

落ち葉を踏みながら本を読む。パリパリとぎゅぎゅの間のやわさ。ぼくは高校生のころ歩きながら単語帳やら参考書を読んでいたため、こういう行動にまったく違和感がない。一章読み終わり、ふと顔をあげたとき、信じられないくらいに萌えた紅葉に心がふるえ、それと同調するように下顎と唇が数度ふるえた。

植村直己の本を読んだのは初めてだった。登山の本というのは、一般書店においてはあまりコーナーに揃っていることがなく、出会いの機会が少ない。主に大型書店の登山コーナーか、登山ショップで購入する。そんな市場動向の反面、実際は実にすばらしい本が溢れている。人生の三冊を選ぶことになれば、おそらく、山野井泰史「垂直の記憶」を外すことはできないだろう。ぼくがカルチャーに求めているのはつまるところ、生の感触なのだとおもう。

いい人の日

三連休最終日。結婚式に出た。今まで行ったなかでいちばん料理が豪華で、ご祝儀が三万円で果たして足りたのか不安が残る。主役は二人なのに、こちら側のことを丁寧に思ってくれていることが伝わる居心地。ほんとうにおめでとう!三連休、めちゃくちゃ月がきれいでまさにSunday Candy。

ヒコさんの72時間ホンネテレビの記事、素晴らしかった。個人的には先のロロの記事に忍ばせたRCサクセションでコラボできたのが嬉しかった。雨あがりの夜空に。ちなみにぼくはスマスマでチャボとキムタクがコラボしたときの君僕が好きで、彼の歌唱は決して上手ではなく、高すぎるキーにあえぐ様はむしろギリギリの綱渡りみたいだったけれど、RCサクセションの楽譜のうえでテクニカルに逃げずに全力でぶつかる男、というのは美学か文学だった。さいご、チャボが「清志郎に言っとくね」とつぶやくように伝えるシーンがハイライト。ヒコさんのロロ記事も、首を長くして待っています。

いちばん偉い人との会食が決まった。はじめはおたおたしたけれど、いまは一周回って楽しもうと思う。嘘はつきたくない。ほんとうに思っていることについて話せたらと思っている。

ロロ「父母姉僕弟君」2017年再演@新宿シアターサンモール

(以下、ネタバレを含みます)

この作品はぼくにとって特別な作品なのだけれど、それも5年前。ぼくも演者も監督も、いろんな意味で更新されている。どう感じるのか少し不安に思いつつ、傘を差しながら足を運んだ。結果、やはり大傑作だった。率直に言えばいくつかの笑いについてはさすがに賞味期限切れを感じるシーンもあったものの、この作品の核にある宝石はひとつも曇ることなく、まさしく5年分、こころがふるえた。他人から見たそれがどれだけ歪でおかしかったとしても、ぼくは大好きで、大好きで大好きです。ロロでいちばん好き。この物語を忘れたくないから、詳細に描写して描写して描写して描写して描写してみます。ぼくなりに。

篠崎大悟さんの「なんでやねん」によって、なんども歪められた現在地がリロードされる。不条理や理不尽に対する彼のバカげているくらい真摯なツッコミに、ツッコミ以上の意味を託してしまい、みんなが笑うなか大号泣してしまった。彼のツッコミはロックンロールやパンクミュージックに通低する純度の高い抗いに思えた。じぶんの感性はなにより正直で事実のように動かないことを、目の前のツッコミに確認してしまうから、同時にその感性が誇らしくも思えた。ぼくが5年間、じぶんの好きを誇ってこれたのは、この作品の影響があったのだと思う。おかしくてもいいのだ。

つながりに関するこの演劇は、家族やペット、イマジナリーフレンド、スタメンメンバーなど、さまざまな関係性を自分勝手に結んではひらいて、こじらせる。時空を自在にトラベルしながら。この物語には、ことわりがない。不条理ばかりだ。しかし、そんな論理なんてはたして物語にほんとうに必要なのだろうか。

5年間でいろんなことを忘れた。いろんなことが起こって、覚えて、忘れて、思い出して、いろんなことが起こった。どれだけ忘れたくないことも、すべてを覚えているなんて、ぜったいにできやしないことをぼくは知っている。でも忘れてしまうのは悲しいし、それが大好きであればあるほど、忘れてしまうことは大好きだった気持ちや事実、その対象すべてに申し訳ない。忘れることによって、好きだったこと自体が嘘みたいに思えてしまうことがなにより悲しい。そして、忘れられてしまうことはもう少しだけ悲しい。たとえよろこびも悲しみも平等に忘れるとしても、悲しいものは悲しい。



叶えられないことを知りながら、それでもキッドは覚えていることを望む。ラスト、旅を終えるキッドはなるべく易しい語彙を用いて、いちばん朴訥な口調で、天球との出会いを詳細に描写する。描写して描写して描写して描写して。その朴訥さが、その純粋な思いだけが、閉ざされた時空の壁に穴を開ける。過去に戻り、未来に飛び、そしていま、天球と出会い直す。もやい直しだ。

実際には、描写して描写して描写して、どれだけ線やことばを重ねても、忘却に抗うことなどできない。しかし、こころに刻むような強い思いだけは、その到着を遅らせることができる。そして、場所やモノを媒介にして、思い出すことだってできるのだ。

拓けた地平にやさしくそびえる一本の木、漏れるひかり。その景色が5年前よりずっとずっとうつくしくて、それこそがこの物語のことわりなのだと気づく。車に乗り込み、キッドは前に進む。旅は続いていく。

開演前、ハンカチを忘れて失敗したと思ったけれど、マスクをしていたので涙のほとんどは不織布に吸い込まれていった。今日みたいなカルチャーに触れられるから、東京にいることをどうしてもやめられないのだ。劇中、隣の席のだれかが拳を握ったり、ハンカチを運んだり鼻をすすったりする仕草に、きっとお互いグッと来ていたと思う。終演後、長い長い拍手を重ねる。称賛の思いをクラップに変える。拍手を終える後の、手のひらのビリビリとした感触すらも余韻なのだ。ひとつ息をついて席を立つ。ふたつ後ろの席の女性と目が合った。すべてを分かち合うような感覚を勝手に得て、劇場を後にする。雨あがりの夜空に吹く風が早く来いよと俺たちを呼んでる。その風に乗って新宿を歩けば、いろんな思い出がめくれてくる。街に記されたかつての景色はシールか絆創膏。忘れるとか思い出すとはいったいなんなのだろう。忘れるという運動をなぞるように、新宿の街へ消えた。