高橋元希、フジロッ久(仮)脱退の報に際して

高橋元希がフジロッ久(仮)から脱退する。

正直に言えば、今回こそは解散だと、そう思っていた。だから、フジロッ久(仮)の音楽がこれからも鳴り続けることはとても安心した気持ちである反面、このバンドにおける高橋元希の貢献度を思えば、不安はどうしようもなくぬぐえないものである。

高橋元希は途中からフジロッ久(仮)に入ってきた。その頃、ぼくはまだフジ久を知らなかったけれど、あれだけ歌のうまいヴォーカルがいるバンドに、決してうまいとは言えない歌唱力で楽器も持たずにヴォーカルとして加わろうとするのは、以前からバンドの存在を知ってたとはいえ、衝動に似たなにかだったのではないか、そんなふうに想像する。その後、彼はバンドの後押しも重なり、藤原さんと高橋元希、ふたりのフロントマンとしてフジ久を歩んでいく。そして百聞は一見にしかずの代名詞、パッションモンスター(パッションリーダー)としてバンドに貢献していくことはみなさんご承知の通り。ブルーハーツのTシャツに真っ赤なパンツ、細い腕、華奢なからだでステージを走り回り、大漁旗をマントに変えてフロアにダイブしていく。彼が使う楽器といえば、タンバリンや鈴くらいなもので、しかし彼のパフォーマンスは観客の心をつかんでしまう。それはひとえに彼が本気で、弱さをさらけ出しながら、居酒屋で聞いたならばこちらが恥ずかしくなってしまうほどのまっすぐな豪速球を放ってくるからで。それがいかに勇気があることか知っているからこそ、ステージで放られるそのまっすぐさにぼくらは心を打たれてしまう。彼のマネージャーとしての振舞いや物販担当としての誠実さがファンの信頼を獲得してきたと思うし、とくにフジ久のDIY精神を下支えしてきたのは、マインドと実行の両面から言っても、やはり元希さんだったと思う。彼のぼくとつさにはうさんくささがないのだ。音楽のライブでは演奏以上にMCで使う言葉や話し方、表情、ダンスなどの要素にグッと来ることが多いことを、現場に通うぼくたちはよく知っている。二人目のフロントマン高橋元希の担ってきた役割とはまさにそういった部分だったのではないか。

しかし、彼の魅力はそのぼくとつとした熱さだけではない。彼の選ぶ言葉には、パンクスとしての気概が詰め込まれている。放たれる言葉から、選ぶのに掛かった時間や思いをどうやったって受け取ってしまうのだ。彼は言葉の人だと、ぼくは思っている。ぜひ彼のブログ「高橋」(ブログ名からさいこう!)を一読していただきたいところだ。そんな彼のさいこうが結実したのがこの言葉だ。

自分は自分で守らないと 恋と愛と音楽と友情で(※)


繰り返して言おう。高橋元希はフジロッ久(仮)から脱退する。その選択はどうやったって非難することなんてできやしないことは、彼の出したコメントを読めばわかってしまう。彼はフジロッ久(仮)らしさを貫くために辞めるのだ。ちょっとおかしなバンド名だった「フジロッ久(仮)」とは、いつしか概念であり、生きざまに変わった。

不安なファンはたくさんいると思う。でも、元希さんの偉大さとか貢献度とかすべてわかったうえで言ってしまうと、ろっきーさん脱退後のあのライブを思えば、ルル子レコ発のインストアライブを思えば、ぼくはフジロッ久(仮)は大丈夫だと思う。あのフロアで音を埋めたのは誰か?間違いなく観客だったはずだ。ぼくらはぼくら自身の「あの力」を信頼してもいいはずだ。「あの力」が音を埋めるのだ。それは決して空虚な物語ではないはずだ。

あのライブだけがいまの希望だ。
高橋元希のいなくなったフジロッ久がフジロッ久足り得るか、ではない。高橋元希のパッションを、ぼくら観客が鳴らせるか、それが問題なのかもしれない。


※修正します。
「自分は自分で守らないと」が元希さん、
「恋と愛と音楽と友情で」が藤原さんです!