アニメ・ムーミン「第10話:笑顔が戻ったニンニ」

最近はムーミンアニメを見返している。もう何度見たか。ぼくはニンニの話がお気に入りなのだ。


物語は二羽の小鳥がムーミン家上空をさえずり、交翔するシーンから始まる。

第9話で初登場したニンニは、嫌味なおばさんの氷のような皮肉にいじめられて姿が消えてしまった少女だ。
ボーダー柄の洋服が印象的なトゥーティッキーに連れられてムーミン一家に預けられたニンニ。

おさびし山に抱かれるムーミン谷。
そのおさびし山から流れる一筋の川沿いにある、愛にあふれたムーミン家にトゥーティッキーはニンニの姿を託したのだった。
姿が見えず、声が出ないニンニとのコミュニケーションを鈴の音色と振れ方ではかる彼らはとても美しい。コミュニケーションの選択肢が減りハードルが上がるほどに達成されたコミュニケーションの嬉しみは増し増しなのだ!

あったかいミルクのようなたっぷりの母性で、ムーミンママは全くの他人のニンニを包み込む。
おばあちゃんの薬手帳をもとにムーミンママは処方をはかる。翌朝、ニンニの靴が見える。

物語を荒らすのはスティンキー。
「いくらムーミンママでもその子を元に戻すことなんてできない相談さ、かけてもいいぜ。」

その北風のような悲観視を、ムーミン一家はじっくりとはがしてゆく。太陽の温度を皮膚で感じるようなあたたかさで、彼らはゆっくりと待つ。

だれかのことが知りたい。だれかの力になりたい。
――その感情を育てた春に、ニンニは姿を取り戻していく。芽生えだ。

やっと顔以外のすべてが見えるようになり、か細い声なら出るようになったニンニだが、ムーミンやスニフ、ミイ、フローレンとのかくれんぼ中にスティンキーに岩の中に閉じ込められてしまった。

光の届かない闇の中で、北風のような不安に包まれてシクシク泣くニンニ。


「助けて…。助けて…。私はここです。ムーミン。助けて。…ゎたしはここよ。」

「ニンニ、大きな声で叫んでみろよ。そうでないと君のいるところがわからないんだ!」

「…ゎたしはここよ。岩の中」

「もっと大きな声を出して!」

「わたしはここ!」

「もっと!!」

「わたしはここ!!!わたしはここにいるのよ!!!」

「あそこだ!」

「わたし、生まれて始めて大きな声を出した…。」

ぼくがこのシーンで美しいと思うのはceroの「Contemporary Tokyo Cruise」同様、存在を叫ぶシーンだからだ。
光と影の狭間にある存在の言葉をきっとわたしたちはずっと待っていたのだろう。



ニンニの顔がもどるのは、それから10日後だ。
初めて見る海の大きさに驚いて嗚咽していたニンニ。反対に、繰り返される日常の退屈、微弱な振幅しか起こらない日常に飽きるムーミンママ。ママに事件を起こすべく、海に突き落とそうとしたムーミンパパ。そんなパパのしっぽにニンニは噛み付き、思い切り叱った。

「許せない!こんな大きな海にママを突き落とすだなんて、絶対に許せない!絶対に!絶対に!!」

ニンニはそう言った。与えてくれた愛の象徴であるムーミンママ。
「これまで支えてくれた誰かを今度は自分が!」
そんな感情の芽生えがニンニにすがたを取り戻させたのである。
譲れない何か、守らずにいられない誰か、それが見つかれば、きっとそれが自分なのかもしれない。

ぼくはムーミンなら、原作よりもアニメが好きです。