やよい軒の漬け物

一ヶ月ほど前にやよい軒の漬け物を自作するべく、切干し大根と野沢菜で漬け物を作った。そこに大葉や茎ワカメなどを加えて和えたのだが、素材ごとの塩分濃度のちがいやえぐみや香りが邪魔をしあっていて、とんでもなくまずい漬け物が出来上がってしまった、ということがあった。大きめの保存瓶に2/3近くつくってしまったので、仕方なくお茶漬けのアテとして少しずつ消費を重ねてきた。それがようやっと減ってきた。一ヶ月経つとそざいがようやく馴染んできたのか、少しは食べれるものになってきた。初めて作る料理は少量から、という学びをいったい何度やれば学ぶのだろうか。しかしやよい軒の漬け物はどうやればあんなにおいしくなるのか。誰か教えてください。

英語を学ばなければならない状況に追い込まれたので頑張って学び直そうと思っている。

住居の更新料を払わなければならない。バカを見ているようで悔しい。いったいなんなのだこれは。山に登って星空を見ていると、この世界は偏在で全く不平等だということを感じずにいられないのだけど、だからこそ人間の社会くらいできるだけ公平であってほしい。

花粉症の到来がそろそろ来ている。今年は結構厳しい。すでに目頭がかゆい。

早く山にのぼりたい。

土日のこと

土曜日、OJTとして慕ってきた先輩が結婚式をあげた。1.5次会と言われた会場に着いたら偉い人ばっかりで、思ってたんとちがう、と緊張してしまった。ああいう場で萎縮せず自分であり続けるくらいの自信と器がほしい。海を渡って厳しい環境で仕事をし、そこでしっかりと周りの信頼を勝ち取っているあの人を誇りにおもった。反対に、自分の仕事について色々と振り返るうちに自信をなくし、必要以上に不安になった。最近の口癖は「大丈夫」で、誰も言ってくれないから、心をなでるような気持ちで何万回と自分に言い聞かせている。そのうちに、不思議な説得力を持つようになってきた。構わないのでやべえ奴だとおもってください。降水確率10%なので洗濯物を干していたら小雨が降ってきたので洗濯物を取り込んだ。そこからの記憶がない。

日曜日、お昼から元希さんの新バンドのレコ発(対バンはフジロッ久(仮)藤原さん)に行く。意識が高すぎて開演1時間前に到着。向かいにあるおしゃれなカフェでバナナチョコクラッシュをオーダー。なんだその名前は、プロレスの必殺技かよ。開場後、ステージにひとりで準備する藤原さんを見つけた。ふと、ひとりというのは不安だろうな、と心情を推し量った。

ほとんど半年ぶりとなった藤原さんのライブ。タイミングがどうにもこうにも合わなかったのだけど、なんとなしにどこか肩身が狭い気持ち。所在なげにお酒を飲んで口寂しさを埋めた。始まってもやっぱりなんだか心細く、音楽の余白がいつもより大きく感じた。

ライブ全体をみればしっかり良かったのは間違いない。だけど、最大限の敬意を込めて言えば、おれの知ってる藤原亮の音楽はあんなもんじゃない。昨日の歌を手放しで褒め称えてしまっては、僕が夢中になった藤原亮と、夢中になった過去の僕に嘘を吐くことになる。後半、一緒にやるつもりのなかったという元希くんを呼びこんでからは歌の冴えが取り戻されたかのようにしっかり良く、「PARK」「あそぼう」ではノックもなく心にズカズカと入ってきてくれた。全身から歓びが溢れだしてくるような感覚が確かにあった。

藤原さんの言葉はこれ以上分けることのできない素数みたいで、気持ちよいくらいに心のキャッチーミットが音を立てるわけだ。キャッチャーインザライブハウス。これ以上言葉を尽くせば野暮ったくなる絶妙のラインで留める。フジロッ久(仮)完全復活祭@日本武道館*1まで数年スパンでゆっくり待っているので、手加減なしで来てほしい。あふれる声が示してる場所に向かって、お互い決勝目指そう。

「フジロッ久をまた始める前に、単純にやり残したことがあったから、それをやりたいと思った」

そう言って、新グッズのトートバッグ(裏方元希くん)とともに新曲を描いてきた。曲は間違いなく良かったので、やっぱりこの人はソングライターとして祝福されているなと思った。曲名はまだらしい。リビングダイニング、みたいな曲だった。

元希さんやろっきーさんとの距離感を見るにつけ、どうも複雑な気持ちになってしまうのは、ファンの未練たらしさか。しかしおれはもう分かっている。あのメンバーが揃うことは、もうない。ただどちらかと言うと、喪失感よりも新しいバンドへの期待が勝っているかもしれない。むすんでひらくような関係性も、別にそれほどわるくないんじゃないか。フジロッ久ならちがう方法があるかもしれない。もしいまの名曲たちをすべて捨てたとしても。今年はやるぞと言っていたので期待してる。

元希さんの新バンド、ソウル溢れる下地という点で、やりたい音楽はフジロッ久に似ている。しかし方法論が決定的にちがう。どっちが良いのかは、正直よくわからない。その人が大切にしたいものに大きく依っているからだ。天地創造パンヤオ、東京徒競走が良い曲で、特にサックスアレンジがよく効いていた。バンドの音に押されて飛び跳ねる元希さんの姿。Yeahひとつで沸き上がる激情。

超ライブのツアーを始めたのはこの場所で、その時の記憶を呼び出していた。おれはフジロッ久から受け取ったものを育てて、耕して、いまサラリーマンとして働いている。それが一番大切だとおもう。自分から歩みを進めなければ。


あそぼう 見えるもの
あそぼう 消えるもの
花 君 東京
ただむすんでひらいて

それでもいつもわかってる
信じてる夢の中も夢の外も
同じことさ 手加減なしでゆこう

*1:東京にある小さなライブハウス

咽喉閉塞ラビリンス

三連休の間、ほとんど誰とも会話をしなかったので、喉が退化し週明けの仕事では喉が閉まって声がうまく出ない病を患ってしまった。俺のターン!孤独の咽喉閉塞ラビリンス!守備表示でターンエンド。後輩から「風邪ですか?」と心配されたけど、ネタにできるほど心がたくましくない。恥ずかしい。

欅坂の新曲はまたもロック調だ。正直、サイレントマジョリティー以後、曲が全く良いと思わないけど、平手のダンスとたたずまいがかっこいいのでどうしてもさいごまで見入ってしまう。

釣りよかでしょうの雪山キャンプ編がばつぐんにおもしろい。無水カレーをトングで味見するくだり、大きな声で笑った。

いまの住居も4年住んだので、住居更新のタイミングを迎える。いまよりも良い条件の物件が見つからず、仕方なく延長を決めた。ほんとうは不満はたくさんあるのだ。上に住んでいる大家さんの生活音(ここ最近はことさらにひどく、特に土曜日は朝8時から延々とドリルの音が鳴り響いていて、もう発狂しそうだ)、それに築25年超の物件なので冬場はすきま風が入ること、さらに欲を言えば、もう少しだけ広い部屋が良い。しかしいまの家賃以下で、職場までの距離がいまとおんなじ程度で、いまよりも良い物件はそれこそ事故物件くらいしか見つからない。むしろいまの住居は周りよりも2万円以上安いので知らないだけで事故物件なのかもしれない。次回の更新では引っ越しをしたい。

しかし、マンション購入とかいったいどう考えればいいのか。そもそもおれの今後のキャリアすら考えも及ばないのだから、考える取っ掛かりが見つけられない。

いっそ、長野か長崎辺りに登山用具だけ抱えて引っ越そうか。おそらくおれの特性から、おれの人生にはそれほど大きな収入は必要としない気がする。おれにできる仕事はないだろうか。

さんきゅーれんきゅーさんれんきゅー

金曜日、同期と飲みに行った。おいしい酒とご飯をたらふく食べた。お店のおすすめだった広島の相原酒造「雨後の月 辛口純米」を好んで頼んだ。飲みやすいのに薄い辛口で、しっかり切れもよい酒だった。様々な料理の余韻を舌から脳に移し変えるようだ。おいしい時間は楽しいし嬉しい。同期との距離感も付かず離れずで良い。この日は雨後の月を頼むときに雨あがりの夜空にを歌い出すくらいには酔っぱらってしまった。しかし仕事をするうえで自分を見失ってはいけない。こういう言葉はすべて自分に確認するための言葉だ。完全に酔っぱらったので、翌日は二日酔いにはならなくとも、しかしほとんど機能しなかった。

なんだかんだ言っても三連休はずっと家でけやかけと古畑任三郎を見ていた気がする。そろそろ漢字のメンバーは覚えきったとおもう。しかし古畑おもしれえ。脚本が冴えている。構造的な発想や設定自体はありそうだけど、細かなキャラクター設定で魅力が飛び抜けている。

好きなYouTuberは釣りよかでしょうのみなさんなのだけど、ここに来て恭一郎のチャンネルも好きになってきている。またひとつチャンネルが増えてしまった。

石牟礼道子さんが亡くなった。水俣に交わった者として、読者として、ともに水俣が好きな者として、敬意を払いたい。「この世界の片隅に」を読んだときにも、どこか苦海浄土と似たような印象を持った。それはきっと、悲惨さを語るに終わらず、生活の存在やその美しさまでも記述するタッチの表現だからだ。水俣には生きざまのかっこいい人間がたくさんいるのだけれど、石牟礼さんもその一人だとおもう。


三連休は久しぶりにバタートーストを食べた。そこにはちみつを掛けたり、目玉焼きを乗せたりして食べた。とにかくパンに融けて滲んだバターが、かじれば溢れるように濃厚で実にうまかった。こんなものを得意料理に加えることだってできる。みんなはバターを焼けた後に塗りますか?ぼくは焼く前に乗せます。

繰り返される話

ようやく仕事が忙しくなってきた。毎日ストレスがすごい。なりたい自分に負けないぞ。なりたい自分に絶対なるのだ。

そろそろYouTubeを見倒した気がする。YouTubeにある動画はそろそろぜんぶ見たよ。Wi-Fiは使いすぎてすり減っているし、ハンターハンターはもう3周くらい見た。幽幽白書は2周見た。

indahouseの開催が発表された。2014年の初回、2016年のloungeにはそれぞれ、なつやすみバンドとテニスコーツが出る日に一日ずつ、参加してきた。そして2018年、今回は二日とも参加しようと思っている。チケットも取ってしまった。仕事で休めなくなっても、ずる休みしてでも行っちゃうよ。なぜか。楽しいから以外に言葉がない。おいしいお酒(モヒート!)、たくさん飲むぞ。イカしたパーティー。せっかく神戸に行くから神戸の山にでも登りたいのだけれど、どこかいいところないだろうか。

先日、母親から英検のテスト結果について答え合わせと質問のメールが送られてきた。母は二年前から2020年に向けて英語の勉強をしている。東京オリンピックのボランティアに応募して、外国人と英語でコミュニケーションを取りたいのだそうだ。ぼくの周りにはオリンピックを商機として捉える人はいるけれど、目標をたてて動いている人は母親くらいなものだ。着実に級をあげていて、次はいよいよ3級とのこと。偉いなあと思ったので、詳細な文法の解説をつけて返信した。見習わなければ。

金曜日、仕事から帰ると友人から電話があった。近くで飲んでいて泊めてもらいたいとのこと。一緒に飲んでいるらしい友人の上司からも電話で依頼があったので近くまで迎えに行って泊めてあげた。上司にも泊まるか一応聞いてみたのだが、「わたしは大都会の八王子に家があるので帰ります」とのこと。良い上司じゃないか。話を聞くと、どうやら仕事でうまくいかず、酒を煽ったらしい。もうモチベーションが腐っているところに、「この仕事向いてないよ」とくらったらしい。

しかしモチベーションばかりは自分で解決するしかない。話をしこたま聞いたあと、「自分はなぜ働くか」「自分は働くことで何を得たいか」「自分は仕事で何を実現したいか」を突き詰めるしかないのでは、と伝えた。また、大切なものがぶれていたので、会社からの評価はひとまず端に置いておき、ありたい自分やなりたい自分を大切にした方がいいのではないか、そして、継続性のない働き方(朝から晩まで休日も)を見直すように添えた。役に立ったかはわからないけれど、ぼくにとっては兄弟のような友人なので、自分を取り戻してほしい。仕事を辞めるのは彼の選択だが、納得できる選択を取ってほしい。

家についてからはおんなじ話を3回聞かされて、酔っぱらいとの会話なのでおとなしく聞いていたのだけれど、さすがにさいごは「その話3回聞いたよ、結局そいつが正月に性病になるんだろ」って言ってしまった。正月に性病になる話を4回もするなよ。

20180120-21天狗岳登山

20180120-21今シーズン初の雪山は天狗岳(長野県八ヶ岳)に登った。

一年前の大寒波が襲った北横岳での反省を生かす。どんなに初級の山でも天候次第ではリスクが増すことを心の真ん中に置き、今回はとにかく準備と備えを徹底した。*1

基本的なところでは、まずはハードシェルジャケット*2を購入、また下半身のベースレイヤーを新調した。爆風下であっけなく破綻したグローブシステムやレイヤリングも、いちから考え直し、稜線上(森林限界手前)までのアプローチ用と、森林限界を越えていく場所に対応可能なもの、最後の備えとしての予備、三種類を用意した。

また、昨年爆風により2秒で凍りついたバラクラバは、呼気でサングラスが曇りそのまま鏡面が凍りつかないように、使い捨てマスクの鼻の針金部分を切り取って自分で縫い付けた。呼気が上に抜けないような工夫、DIYの極地法だ。そして現場では風の穏やかな場合はなるべく口許を露にする運用サポートを組み合わせることとした。

足先の冷え対策として、finetrackドライレイヤーと極厚靴下を組み合わせ、また、アイゼン装着がスムーズにできるように、家では厚出の手袋をした状態でアイゼンやスパッツ装着の練習に励んだ。ピッケルの使用法については雪山登山の参考書、バックカントリー穂高YouTube動画などを駆使して学んだ。

登山を知れば知るほど、同じ道具でも使い方によって効果は倍増も半減もすることがよくわかる。メーカーの言うことを鵜呑みにせず、自分の頭で考えて自分のからだの感覚と相談しながら必要なものを選ぶ、なければつくる、というのが登山の楽しさのひとつなのかもしれない。

金曜日、定時ダッシュかまして、高速バスで甲府の友人の家にお邪魔した。仕事終わりの友人と合流する。元々自分ひとりで行くつもりだったが、急遽彼も参加。別行動し一人で東天狗まで日帰り往復するとのこと。お互いのための別行動、お互いのためのソロ登山だ。

土曜日、8時前に甲府駅を発ち、茅野を経て10:17渋の湯着。友人とはここで別れ、ぼくはゆっくりと黒百合ヒュッテへ向かう。何度も練習したアイゼン装着をスムーズに済ませる。ストック2本で進んだ。多少は凍結箇所はあったものの、雪山ハイクを楽しんだ。




暑かったので、ほとんどベースレイヤーで行動。13時前にはチェックインし、お昼にカレーライスを注文した。LINEを見る。友人は一時間ほど前に着いていたようだ。



しばらくしてからヒュッテ前の急坂を借りて滑落停止訓練に勤しむ。シリセードで滑っていくとfinetrackのハードシェル、エバーブレスアクロのスノーベルト(スノーハーネス)が股間に食い込んできつい。これはほんとうに滑落したとき、きんたまがギャンギャンにつぶれてしまう気がする。何度か繰り返した後、斜面を登りきり、明日の目標を眺めてこの日の雪山を閉じた。



小屋に戻りお湯を飲んで休んでいるとおじさんふたり組の会話が耳に入ってきた。印象的だったのは「なぜ山に登るかの回答は3つに集約される」というものだ。おじさん曰く、「1.未知への好奇心や挑戦、2.癒しや景色、3.心身の感覚を通じた自己確認(生きてるって感覚)」らしい。ぼくにとっては3.自己確認が山を登る理由の大半で、雪山登山の場合には、きれいな景色が見たいからが比重を高めている。「ごはんがおいしくなる」ことは1.好奇心と2.癒しの双方にまたがるのだろうか。なかなか興味深い。

なぜ山に登るかという議論はどんな山登りにしたいかと近似だとおもう。そしてそれはどのように山を登るかと密接に関係している。WHY、WHAT、HOWの問いに答えるにはそれぞれについて深める必要がある、山登りに限らず。

晩御飯を食べ、トイレを入念に済ませてから三階の屋根裏部屋の奥へ。ここが今日の寝床である。これでは夜中、決してトイレへは行けまい。しかし足を踏まれる心配はまずないだろう。

ブレスサーモとはいえ薄ーい寝具!しかし暖気が三階に集まってくるからか、すこぶるあったかい。きっと我が家よりずっと。下の階のおばさんが世間話をしていてうるせえ。初対面のカップルに「結婚しないのか、情けねえ男だ」と迫っていた。余計なお世話だと心のなかで悪態をついていたらどうやら自分の息子が結婚しないらしく、それが自分と旦那の不仲が原因と考えているらしかった。少しだけ同情したが、なんでもいいけど勘違いした罪悪感を他人に押し付けて説教に変えるなよ。除菌シートでからだを軽く拭き、ベースレイヤーだけで布団にくるまって寝た。耳栓がよく効いたのでほぼ熟睡できた。



土曜日、朝御飯をいただき、準備を済ませる。7時前には出発した。3セット持ってきた手袋は、ここで大本命を取り出した。全く寒くない!さいこうの具合だ。しばらく樹林帯を進んでいく。左足先だけ少し冷たさの違和感があるものの、問題ないと考えて進んだ。

しばし樹林帯のハイクを楽しむ。斜面に取りつく頃に、左の足先が冷たく、痛みが強まってきた。靴紐を閉めすぎたのか、濡らしてしまっていたのか、靴下がフィットしていないのか。確かめるにはアイゼンやスパッツを外す必要がある。そんなことはしたくない。すぐに下ればよい、そのまま進んだ。

樹林帯の狭間で細かいガラスのような雪塵が顔に当たった。ダイヤモンドダスト、とてもきれいだ。樹林帯を越える手前でバラクラバを準備し、お湯を飲んで再び出発した。





雪面にクライミングテクノロジーピッケルを差して進む。なるほど、ピッケルというのはこういう使い方をするものか。キックステップを織り混ぜ、アイゼンを効かしながら一歩を踏み出す。違和感のある左足だけ、優しく、ときに強く蹴る。指先をなるべく動かし、血が通うイメージを持つようにした。

ごつごつとした岩場は、とりわけ慎重に登った。慎重を求められる場面においては、どうしたって呼吸が浅くなり息が上がる。呼気はサングラスをくぐもらせ、バラクラバを濡らす。時折思い出したように口許を開け、風が吹けばまた閉じる。行為を繰り返した。急な斜面には雪山の教科書に載っていたように、上体を寝かせ、ピッケルのピックを雪面に刺して進んだ。一瞬の爆風にはコンティニュウス(耐風姿勢)を取って耐えた。

東天狗の山頂に着く。三角点にタッチ、写真を撮って西天狗岳に向かう。二つを結ぶコルは完全な無風地帯になっていた。タイミングが良かったのか、周りの山々が障壁となっているのか。西天狗岳の最後の登り、終わってしまう夏休みのような気持ちを噛み締めて、晴れやかな気持ちで高度をあげた。西天狗岳には10分くらい滞在した。写真を撮ったり、サングラスを外して景色を眺めたりした。



汗冷えしそうな気配がしたので、ゆるく下山を始めた。ヒュッテまではあっという間。しばらく小屋の前で休む。お湯を飲み、バラクラバやネッグウォーマーをしまった。小屋から出てきたお客さんが小屋番のおじさんと別れの際、名残惜しそうな挨拶を交わしていた。別れを告げて去る一行を、背中が見えなくなるまで見送るおじさんの姿を見て「この人の仕事は信用できるから、また来よう」と決めた。少しばかり行動食を補給。さあ出発だ。ピッケルをストックに持ち変える。ヒュッテから渋の湯へ向かう。ふたつある分岐を注意して下った。


*1:雪山では初心者向けイコール安全、では決してない

*2:雪山で一番外側に着る服、風を防ぐために堅牢な素材を使っている

ハードシェルを買った

年末年始は完全なる寝正月。今年は田舎でゆっくりしようという気持ちも、忘年会ラッシュと仕事最終日まで頑張ってきた疲れにあっけなく砕け散ってしまった。ひとりで寝正月。さいこうに安らいだ。

1/2、さかいやにて福引きを引き、6-7割値引いていたSUUNTOGPSスポーツ時計を見に行ったのだが、時既におすし。もうSUUNTOは売り切れていた。シュラフ(寝袋)のコーナーでふと隣を見ると、大学時代の友人、山仲間が立っていた。せっかくなので一緒に、と正月から登山ショップをはしごした。店頭に並ぶ服の素材を軽く触りながら何の素材かを自然に判別している自分達に気づき、ふと「ついにここまできたか...」とお互い自嘲混じりの感慨に耽った。結局この日は、キャンプチェアー(ALITEのマンティス旧モデル)が定価の4割引で売っているのを見つけ、10分近く座って考えた。山ギアの知識が六法並みに蓄積されているその友人が「座り心地はヘリノックスよりALITEだ」というのを信じて買った。

1/3、日帰りで田舎へ。おばあちゃんは95歳と99歳とのこと。すげえ。叔母さんの煮物が信じられないくらい上手で感心した。食べる限り、煮物というのは、味付けすぎず、煮すぎないことがコツなのかな。それにしても若い人が俺しかいなかったからか、おれへの結婚のせかし方が親戚一同によるオールコートのゾーンプレスみたいなプレッシャー。思わず監督はタイムアウトを欲した。

1/4、カモシカスポーツにて、ついにハードシェルジャケットを買った。ハードシェルというのは雪山登山でいちばん外側に着る服のことで、直訳すると「堅い殻」。雪山でもっとも怖い風(雪や雨)から身を守るための装備だ。約一年間、必要性を吟味し、数ヵ月迷った末の購入だ。登山を始めて4年目。ついにハードシェルを持っている側の人間になったわけだ。テントのときのように、各社の商品スペックや価格をエクセルで比較(こういうところに性格が出る)。5店舗以上はしごして何度も試着。選んだのは、finetrack社のエバーブレスアクロという商品。結果的には女性用のMサイズを40,800円で購入した。

この商品を選んだ理由。それは、①finetrackという会社への信頼感、②(ハードシェルのなかでは)比較的手軽な価格帯に備わる日本の雪山に活かせる多用なギミック、③ソフトシェルに近い動きやすさの3つが決め手だ。ひとつだけ懸念しているのはジッパーの操作感がすこし堅いところだが、これはもうグローブ装着時のコントロール能力を上げる練習をするしかないわけだ。次のモデルでは、ノースフェイスがYKKと共同開発した一体型ビスロンファスナーの搭載を求めたいところだが、価格を抑えるための工夫も併せて必要だろう。デザイン面はどうにもイモっぽいので多少不満もあるのだが、自分の身長から合うサイズ感などを考えても、これしかない。この値段では十分すぎる商品ではないか。

登山ギアを買う上で、「どのお店で、どの店員さんと相談して買うか」というのはめちゃくちゃ大切だ。相談に乗るだけの力を持つ人は、買い物に道筋が立つ。さかいや、finetrackあたりはどの店員もレベルが高い。商品知識も豊富で勉強してるのが伝わる。それからいかに手頃な値段で手に入れるかというのも、中流サラリーマン登山家には必要なスキルのひとつだ。カモシカスポーツのアウトレットやセール時期(年末年始、商品入替え、山の日etc...)をうまく活用することだ。さっさと次の山の計画を立てたい。つぎはどんな山登りにしよう。

1/5は仕事始め。仕事を片付けつつ、「年始の挨拶だけはしっかりやろう、それが今日の仕事の95%だ」とだけ考えた。課長に電話したら完全に正月ボケしていて笑ってしまった。いつものスーパーがようやっと営業していた。ほっとしたら隣のおばあちゃんが「やってるやってる!やってるやってる!」って嬉しそうにはしゃぐこの街は今日もラブアンドピース。夜中に地震。311のときに布団で寝てた背中を貫いた太くて鈍い突き上げを基準として、この後にやって来る地震の大小を判断する能力を得ているので慌てない。

1/6、三連休なので山に行くことも考えたが、錆び付き先が丸くなっているアイゼン(登山靴に装着する雪山用のスパイク)を磨いた。

1/7、昼からキャンプチェアーをザックに詰め、みかんと大福、熱い紅茶を淹れて、新宿御苑へ向かった。低い日差しの中、椅子に座って4時間近く読書を楽しんだ。4時間座り続けてもまったく疲れなかったので、やはりこの椅子は買って良かった。家でも使い倒すぞ。
しかし公園の親子連れはどうしてこうも愛しいのか。トタトタと走りトテっところける子どもの愛くるしさ。仔猫かな?バドミントンのラリーを続ける度に「生きている!」と投げ掛けるカップルがいたのだが、どう見てもバカだけど、キミに1000%まじ御意じゃん。

閉園後、石井スポーツと秀山荘へ。歌舞伎町ではもうお決まり、くたびれたような風俗の勧誘と裏DVDの営業を縫うようにして進んだ。それにしても山をやるようになってから風俗勧誘は緩やかになった気がする。
秀山荘は知識が豊富な店員がいるので池袋時代からよく通っていた。新宿に移転してからも元気そうで何より。しかし新宿の街はみんな咳やくしゃみをしていた。この日はマスクを忘れてしまったので、もう耐えられなかった。帰り道にお腹が減りすぎて入った大阪王将では二日前までインフルエンザだったという腐れ外道がのうのうと隣の席で友人と話していて、12個の餃子を口に放り込み速攻で店を後にした。歌舞伎町を抜けるまで口もとをマフラーで隠し、不審者による防災訓練のごとく、そそくさと消えた。